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帰郷
田んぼに囲まれた道を、私はスーツケースを転がしながら歩いていた。どこからか、カエルの鳴き声が聴こえる。学生時代はこの道を自転車に乗って、どこまでも進んでいたものだ。バスは一時間に数本しかないし、どこに行くにしても自転車のほうが便利だったからだ。
自然が多くて長閑な場所ではあったが、学生の時は早くここを出たくてたまらなかった。都会への憧れが強かった私は、高校を卒業すると、すぐにこの地を離れた。
都会での生活は何もかもが目新しくて、刺激に満ちていた。遊ぶ場所が豊富で、飽きることがない。時間があっという間に過ぎていく。
けれど変化の速い街で暮らしていくのは大変だ。最初は楽しくてたまらなかった都会での生活に、だんだんとついていけなくなった。
生きるのに疲れてしまった私は、仕事への意欲を失くし、故郷を懐かしく思うようになった。
故郷を思い出す時、必ず脳裏に浮かぶのが、田舎のあぜ道を白いワンピース姿で歩く美しい女性の姿だ。学校から自転車で帰る途中、偶然見つけてしまった不思議な光景。
山々を背景に堂々と歩く姿は、ランウェイを突き進む一流モデルのようだった。女性がただ歩いているだけなのに、あれほど心を奪われたのは生まれて初めてだ。セーラー服に学校指定のジャージのズボンという自分の格好が恥ずかしくて、女性に声をかけることができなかった。それほどに彼女は神々しかったのだ。
あの時見た女性は、いったい誰だったのだろう? なぜ田舎道をモデルのように歩いていたのだろう?
あの人に、もう一度だけでいいから会いたい……。
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