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美しき店主
「よろしかったら、こちらもどうぞ。サービスですわ」
カップに入っているのは白い液体だった。温かな湯気と、どこか懐かしい香り。
「ホットミルクですか?」
「ええ。蜂蜜入りです。気分が落ち着くと思いますわ」
「本当に、何から何まで申し訳ありません……」
「当店でくつろいでいただけた証拠ですわ。むしろ光栄です」
客に負担をかけない、完璧な対応だった。女性は美しいだけでなく、仕事ができる人のようだ。
「あの、あなたのお店なのですか?」
「はい、そうです。申し遅れました。私がこの店の店主である青山 京香です。この地に店を開いて、三年ほどになりますかしら」
「三年前……以前からこちらにお住まいでしたか?」
「いいえ、以前は東京に暮らしていました。母の実家がこの辺りでして、馴染みの場所でお店を開きたいと思って、心機一転こちらへ越してきました。開業準備に時間がかかりましたが、ようやく念願のお店をもつことができました」
「そうだったんですか……」
彼女もまた、都会での生活に疲れて田舎に戻ってきたのだろうか? あぜ道を颯爽と歩いていたのは、東京からこちらに来たばかりの頃だったのかもしれない。
青山さんが憧れの女性なのか、確かめたい。
「あの以前、私と会ったことありますか?」
青山さんの目が少しだけ大きくなり、やがて静かに微笑んだ。
「あら、お客様。ナンパの常套句ですわね」
「な、ナンパ? そうじゃなくて……」
穏やかな微笑みを浮かべ、私を見つめている。心の中を見透かされるような視線に、ドキリとした。顔が熱くなるのを感じる。
「ふふ。冗談ですわ。これから長いお付き合いになれたら嬉しく思います」
「こ、こちらこそ」
青山さんは、優雅に微笑んだ。その表情に、心臓の鼓動が早くなるのを止められなかった。
「お客様、どうぞごゆっくりおくつろぎくださいね。私は仕事に戻りますので」
「はい、ありがとうございます」
蜂蜜入りのホットミルクを飲みながら、青山さんが働く姿を目で追った。仕草のひとつひとつが洗練されていて美しく、香り立つような色気がある。
こんなに美しい人のそばにいられたら、どれだけ嬉しいだろう……。
まるで恋い焦がれる乙女のようだ。それでも想いはもう、止められなかった。
ふと、カウンター近くの小さな宣伝広告が目に入った。『従業員募集中』と書かれている。
「あ、あの。ここで働きたいです!」
気付けば大きな声で、叫んでしまっていた。
驚いた表情の青山さんと、客のほとんどが私を見つめている。しまった、やらかしてしまった……。
「すみません、出直してきます……」
スーツケースを持ち上げようとした時だった。
「まだお名前を伺ってませんわ。従業員希望さん?」
青山さんはうっとりするような微笑みを浮かべた。
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