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5 槇
「深沢、久しぶり!」
会社で声を掛けてきたのは、転勤で職場が離れた同期の原島だった。
「原島!なんで本社に?」
「会議でさ。昨日から来てたんだ」
この原島という男はとにかく顔が広い。入社当時からとにかく人脈を広げることに尽力していて、社内を歩けば顔見知りだらけという、スーパー人たらしだった。
原島は満面の笑みで言った。
「一年ぶりだな。どう、調子は」
「ああ・・・まあ、ぼちぼち頑張ってるよ」
「おいおい、仕事のことじゃねえよ?」
「えっ?」
「総務のひとみちゃんだよ、付き合ってるんだろ?」
「あ~・・・・・・」
ひとみちゃん、というのは一年前に付き合っていた、入れ墨の入った男と浮気して別れた俺の元カノだ。
「別れたんだよ・・・いろいろあってな」
「マジで?!俺はてっきり結婚するもんだと思ってたよ」
「俺もそう思ってたわ・・・・・・」
「何あった?」
「まあ、割とありきたりの展開よ。他に好きな奴がいたみたいでさ」
言い合いになって、入れ墨男と殴り合ったことは伏せておいた。原島は目をまん丸くして、あんぐり口を開けている。
「そう・・・だったのか・・・」
「時間が解決してるからもう大丈夫だけどな」
「なんか・・・ごめんな?」
「ん?なんで?」
「だって紹介したの俺だし」
「ああ!そうだったっけな。いやでもそんなこと気にしなくていいよ」
確かに彼女を紹介してくれたのは原島だった。と、いうか、彼女が原島に俺に繋いでほしいと頼んだ、と当時は聞いていた。
紹介を頼んでおいて浮気するとは何事か。原島にも悪いじゃないか。
しかし過ぎたことなのでもうどうでもいい。
気にしている様子の原島に俺は言った。
「それにさ、彼女は駄目になったけど、いい奴紹介してくれたじゃん」
「え?・・・・・・あ!」
原島はぽん、と手を打った。そして言った。
「そうだそうだ、川野辺ね、川野辺聡太!え、まだ一緒に住んでんの?」
「住んでるよ。なかなか快適だぜ」
友人の友人、という知り合いかたをした俺と聡太。介してくれた友人というのが、これまた原島だった。要するに俺たちどっちのことも知ってるわけで。
「川野辺との共同生活は、どう?」
「話も合うし、飯の好みも合うし、楽しくやってるよ」
俺は聡太から告白されたことはもちろん黙っておいた。原島が聡太のセクシャルを知ってるのかどうかの確信を持てなかったからだ。
なのに。
「えっと・・・深沢は・・・知らないよな」
「・・・ん?」
「川野辺の・・・プライベートなこと」
「・・・どゆこと?」
「いや、その、不便がないならいいんだけど」
「・・・不便ってなんだよ」
原島は若干気まずそうな顔をした。聡太がゲイであることに関することだろうとわかったが、何故か少しイラっとしたので、俺は尋ねた。
原島は声のトーンを落として言った。
「・・・その、さ、言い寄られたりとかしてない?」
言い寄られる、とはどうにも響きが悪い。内容は同じことでも、相手がゲイだからって、言葉のチョイスに悪意があるように思ったのだ。
「あいつがゲイなのは聞いてる」
俺ははっきり答えた。そもそも本人のいないところで話をするのは、あまり好きではない。
「あ、そうなんだ。本人から聞いた?」
「・・・聞いたけど」
「怒るなって、違うんだよ」
「違うってなんだ」
「あいつ、滅多なことじゃ自分のセクシャル、明かさないんだよ。学生時代に嫌な目にあったらしくてさ。家族と、何人かの友達しか知らないんだよ」
「え?」
「人見知りなのもあってあんまり新しい人間関係構築するの不得意な奴なんだけど、うまくやれてるんなら、良かったなあって思ったの」
「・・・・・・」
「前にルームシェアしてたやつとは、一ヶ月で解消したらしいよ。ゲイだってばれて大揉めしたんだって」
「揉めた?」
「気持ち悪いから寄るな、とか、いろいろキツいこと言われたらしい。お前みたいな偏見のない奴を紹介してよかったよ」
「偏見か・・・」
果たして自分は本当にフェアな感覚を持っているだろうか?
いや、それより先に、聡太は聡太だ。
告白された時驚きはしたものの、まっすぐに寄せられた好意は嬉しかった。飾りもせず、ストレートに気持ちを伝えてくれる相手なんてあまり出会ったことがない。むしろ原島が紹介してくれた「ひとみちゃん」は、最初非常に回りくどく俺への好意を伝えてきた。なのに付き合ったらさっさと浮気とは・・・以下省略。
「川野辺が一年以上一緒に暮らすなんて、そうとう信用してる証拠だよ。よろしく伝えてくれな」
「あ、ああ、うん」
原島と別れて、俺はひとり、自動販売機にコーヒーを買いに行った。
五百円玉を財布から出して投入口に入れる。赤いランプが点滅して、ブラックにするか、ミルクを入れるか、砂糖をいれるかを選べと迫られる。
ミルクを選ぶと、紙コップがすとんと落ちてきて、コーヒーとミルクが同時に注ぎ込まれた。
(あれ?)
できあがったコーヒーの紙コップを持って、俺は自分の中の違和感に気づいた。
原島との会話を反芻する。
以前にルームシェアをした奴に理不尽なことを言われた聡太。だいたいあの聡太が、そんなことを言われるような行動をするはずがない。俺に告白してきたときだって、今だって、ちゃんと物理的な距離を置いて、俺が困るようなことなんかしない。
あんないい奴を、セクシャルだけで判断するなんて馬鹿げてる。
ふと、思い出す言葉がある。
(その子、槇のいいところ理解してないよ。きっと、もっと槇を大切にしてくれるいい子が現れるから)
元カノの「ひとみちゃん」の浮気相手に殴られた夜、聡太がかけてくれた言葉。あの時はまだ、聡太の気持ちは知らなかった。
どんな気持ちで、あの言葉をかけてくれたんだろう。
コーヒーをひとくちすすった。
そして同時に、聡太と一緒に飯を食ったことや、お笑いのテレビ番組を見て笑ったことや、サッカーの試合を見て大盛り上がりしたことが、勝手に脳裏に再生された。
(・・・なんか・・・顔、熱・・・)
言葉で説明出来ない感情が俺の中に沸き起こった。
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