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8 聡太
「ねえ、本当に来るの?」
「行くって」
「だ、大丈夫だよ、俺ひとりで」
「駄目だ。いいから行くぞ」
槇は俺の数歩先をずんずん歩いていく。まさか本当に、こんなことになるなんて。
数日前、困っていた男とのことを正直に話した。正義感の強い槇は、次に連絡が来たら絶対に知らせろと言ってくれたのだが、まさかの翌日に奴からのメールが来てしまった。さすがに昨日の今日だし、本当に迷惑をかけてしまうので黙っていると、ちゃんと察知されてしまった。
話し合いは人通りの多い道に面したカフェを指定し、さらに座るのは窓際の席。やばい奴に会う時は相手が暴挙に出にくくするのが基本だと槇は言った。さすが入れ墨男を殴っただけのことはある。
カフェにつくと、相手はもう来ていた。身体が勝手に緊張して、足がすくむ。距離が開いたことに気づいて、槇が振り返った。
「大丈夫か」
「・・・うん」
「俺がついてる」
「ありがとう・・・がんばる」
槇は、ん、と言って、スーツのジャケットの端っこを軽く折り曲げて見せた。
掴めってこと?
迷子にならないように母親のスカートを握ってついて行ったのを思い出した。何故か恥ずかしさはなく、俺はそっとそれを掴んで槇の後をついて行った。
相手の男が俺に気づいて立ち上がった。
「聡太、そいつ、だれだよ」
「と、友達だよ。俺のこと心配してついてきてくれたんだ」
「友達・・・?」
こいつの名字も槇なので、ややこしいのでMとする。
頭から足の先まで舐めるようなMの視線にさらされた槇は、表情も変えず黙って立っていた。今日槇は休みなのだが、わざわざスーツを着こんでくれている。その方が威圧感が出るとかなんとか。
槇は尊大な態度でMに言った。
「あんたがこいつにおかしなことしないか、見張りに来たんだよ」
「はっ?なんだてめえっ」
「おいおい、こんなとこで大きな声出す気か」
「・・・チっ」
槇の方がMより幾分背が高かった。槇は普段、もう少し背がほしいとぼやくが、176cmはそこそこあるほうだと思うのだが。
渋々腰を降ろしたMと向かい合って俺と槇も座った。終始難しい顔で腕組みをした「守護神」に守られ、俺はMに改めてつき合えない旨を伝えた。が、当然そう簡単に首を縦に振るはずもなく。
「どうしてだめなんだよ・・・俺たち相性よかっただろ」
相性とは。
「そう・・・だったっけ?」
「そうだよ!お前も乗り気だったろ」
「ちょっ・・・ちょっと、声落としてよ」
「何がだめだった?詳しく教えてくれよ」
「何って・・・そもそも一回だけのつもりだったし」
「はあ?!」
Mが気色ばんで椅子から立ち上がった。びくっと震え上がった俺の代わりに、隣の守護神がぐっと身を乗り出す。その勢いに負けて、Mがすとんと腰を落とした。
「俺たち身体の相性めっちゃよかったじゃねえかよ・・・」
何を言い出すんだこいつは。槇の前で。
「そ、そんなことないっ」
「あるって。俺ら一晩で何回ヤった?」
「やめてよ・・・」
「マキって呼ばせてくれって言って、さんざんよがってたくせに」
「ちょっ、何言ってっ・・・」
ああああああああ。
最悪。
さいあくさいあくさいあくさいあく。
よりによって本人の前で!もう終わりだ。
俺は視界の端で槇の顔を確認しようとしたが、怖くて見られなかった。
と。
がたん、と音を立てて、槇が立ち上がった。その横顔は般若の面のように歪んでいた。テーブルに両手をついて、Mに顔を近づけると、聞いたことのない低い低い声で、こう言った。
「今すぐ消えろ。二度と聡太に近づくな」
その迫力にMは声も出せず凍り付いた。何かを言い返そうとしたMの襟元を片手で締め上げ、槇はさらにドスの効いた声で言い放った。
「よく聞け。・・・・・・俺が、本物の「槇」だ」
「え・・・」
ひっ、と息を吸い込んだMは、がたがたと椅子を鳴らして後ろ下がりに立ち上がった。逃がさない、といった雰囲気で槇はMを追う。鞄を抱えてMは転がるように走って店を出ていった。店の入口まで槇は鬼の形相で追いかけて行って、しっかりとMの姿が見えなくなるまでそこにいた。
そして守護神の任を解かれた槇は、ゆったりと俺のところまで戻ってきた。もちろんその短い道中で、周りの客や店員の刺すような視線を全身に浴びながら。
「槇・・・・・・」
戻ってきた槇は、ものすごく微妙な顔をしていた。
俺も微妙な顔をしていたと思う。
気まずいなんてもんじゃない。
どうしてこんな大事なことを、一番どうでもいい奴の口から本人に伝わってしまうんだ。
えてして人生はこんなもんなのかもしれないが、とりあえず俺は生きてきて最も最悪の状況に追い込まれているんだと感じていた。
のに。
「帰るぞ」
「・・・・・・え?」
「行こう」
「えっ、ま、槇っ?」
槇は俺の手首を握って立ち上がらせた。千円札二枚をレジに投げるようにして、来たときよりもずっと力強い足取りで槇は俺を引っ張って歩き出したのだ。
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