1 槇

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1 槇

「おかえり」 いつものように笑顔で迎えてくれる同居人。 最初はいたって普通のルームシェアだった。友人の友人という、あまり近くない関係。その方がお互い気を遣わないで済む、という理由が一致したのだ。 「ただいま」 同居人の川野辺(かわのべ)聡太(そうた)は大手家具メーカーで働いている。専属デザイナーだそうで、週の半分は在宅で仕事をしている。 俺は商社で働いていて、三日間の出張から戻って来たところだ。 「これから夕飯、デリバリー頼むけど、(まき)は?」 聡太は俺を(まき)、と名前で呼ぶ。名字と間違えられるが、名前である。よく女性とも間違えられるが、もう慣れた。フルネームは深沢(ふかざわ)(まき)。そして、聡太が俺を呼ぶ声のトーンが変わってきたのは先月くらいからだ。 俺は答えた。 「うん、俺も食う」 OK、と親指と人差し指をつけて聡太は笑った。 先月の始め、朝イチで聡太は、洗面台で髭を剃る俺の背後に立ち、こう言った。 「槇、俺、お前が好きなんだ」 「・・・ふぁ?」 俺は口の周りに泡をいっぱいにして、素っ頓狂な声を出した。 聡太がゲイなのは、ルームシェアをする時点で告白されていた。俺はそれを聞いても、聡太の人の良さを気に入っていたので、気にしなかった。 「俺を狙ってんのか」とは言わなかった。ゲイだからって、男なら誰でもいいわけじゃないだろうと思ったからだ。 でも、聡太が俺を憎からず思っているのには、割と早く気づいていた。 「なんか・・・黙ってるの、卑怯かなって」 「卑怯ではないと思うけど」 「俺がそういう目で槇見てるの、黙ってたら気分悪くない?」 「そういうっていうのは、性的にってこと?」 「・・・そうなるね」 「なるほどな・・・」 聡太は唇を一文字に締めて、俺の背中を見つめていた。鏡を通して俺はそんな聡太の顔色を見ていた。 一緒に住んで一年、そんな深刻な表情を見るのは初めてだった。俺は泡を洗い流してから、タオルで顔を覆ったまま言った。 「それはさ・・・聡太は・・・俺とセックスしたいってこと?」 「えっ」 早朝にする話題ではない。 聡太は絶句した。顔を真っ赤にしているだろうことは見なくてもわかる。俺はお互いのためにもタオルで顔を覆ったまま、聡太の返事を待った。 「それは・・・まあ俺も男だから、考えないことはない、けど・・・・・・今、そういう意味で言ったわけじゃないよ」 「・・・・・・だよな。うん、ごめん」 「いや、こっちこそ」 俺はそっとタオルを外した。 聡太の顔は想像通り赤かった。俺は言った。 「わかった」 「え?」 「聡太の気持ちはわかった」 「あの・・・・・・ルームシェア、継続してもいい?」 「え?そりゃもちろん」 「いいの?!」 「いやむしろ、出て行くつもりだったのか?」 「槇の返答次第では、そのつもりだった」 聡太は生真面目な性格だった。パーソナルスペースもいつも綺麗に片づいている。多分仕事ぶりも 真面目なのだろう。 「出て行く必要ないよ。俺はルームシェア続けたいし・・・聡太の気持ちは・・・ありがたいと思う」 「槇・・・ストレートなのに?」 「好意を寄せられるのは嫌じゃない。応えられることと応えられないことがあるけど」 「それは解ってる。俺は言っておきたいだけで、応えてくれなくていいんだ」 「・・・・じゃあ、とりあえず継続ってことでいいよな」 「・・・・・・ありがとう」 「おう」 それが聡太からの告白の一部始終だった。 あれから約一ヶ月。聡太の様子はいつもと同じで、しかし絶妙な距離感を保ったまま俺たちはルームシェアを続けている。 俺が気をつけているのは、聡太が困らないように、風呂あがりに裸でうろうろしないということ。ゲイの聡太がどのへんにムラムラするのかはわからないが、出来るだけその原因を作らないのが礼儀なような気がしたからだ。 と、頼んだデリバリーの夕食が届いた。
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