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「なぁ」
閉じかけたエレベーターに滑り込みで乗ってきたその男は、操作盤のボタンを押したあと、あからさまに不機嫌な態度で、田邊咲に声をかけた。
その不穏な空気に、咲は思わずキョロキョロと辺りを見渡してしまう。
「あんたしかいないだろ」
乱暴な男の声に、エレベーターの上昇と相まって、みぞおちの辺りがキュッと締めつけられる。
「私、ですか?」と咲は恐る恐る男を見上げた。
男はエレベーターの壁にもたれかかり、無遠慮な視線を咲に浴びせる。年齢は二〇代後半くらいだろうか。咲より少し年上かもしれない。
長い前髪から覗く鋭い目つきは、獲物を狙うハンターのようで、つい身震いしてしまう。細身でありながら、背丈は天井に届きそうなほどで、狭いエレベーターの中では圧倒的な威圧感を覚えた。
咲はゴクリと喉を鳴らし、目の前の男を凝視した。
「あんた、武雄の彼女?」
男が目を細めた。そうすることで、威圧感がさらに増す。
「……武雄さんって、どちら様ですか?」
聞き覚えのない名前に、咲はパチパチと目を瞬かせた。
それに、「なんだ、あいつ、名前も教えてないのか」と呆れた声を上げる。
「まぁ、名前も知らないような奴が彼女のわけないか」と思い直したように咲を見つめ、頭を掻いた。
その視線が、品定めされているようで、居心地が悪い。咲は身を縮ませた。
ふーん、と男は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「な、なんですか?」
「……貧乳だな」
「はっ?」
「あいつ、貧乳は好みじゃないんだよな」
ニヤニヤと意地の悪い顔で笑った。
「なっ……」
反論しようとしたところで、ポーンと音が鳴り、エレベーターが止まった。階数表示は『3』となっていた。
「じゃあ」と男はもたれていた壁から起き上がる。
それから、ドアが開ききらないうちに、さっさとエレベーターを降りていったのだった。
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