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桂木夫人
「おしまい、おしまい」
アデリアーナ夫人、もとい桂木夫人はニタリと嗤う。小島の背中を冷たい汗が伝った。
「あ、あの奥さん、その話にどんな意味が……」
小島の問いを遮るようにして真奈は言った。
「主人の立ち寄りそうな場所をお伝えします」
結局彼女は“アデリアーナ夫人”の話には触れることなく夫の立ち寄りそうな場所を挙げていく。その後も取り調べは続き、最後に「他に何かありませんか?」という小島の言葉に対し真奈はしばし沈黙した後でこう言った。
「先ほどお話した“アデリア―ナ夫人”の話なんですけどね。昔何かで読んだんです。それでこの話を巡って友人ら数人と議論になりましてね。彼女が本当に愛していたのは誰だったのかって」
また話の行方が見えなくなる。小島は黙って聞いていた。
「彼女の言葉通り王様を愛していたのではないか、と言う人もいれば吟遊詩人を助けるために王様のことを愛してるって言ったんじゃないかと言う人もいた。刑事さんはどう思われます?」
小島は答える。
「うーん、どうでしょう。どちらも大切に想っていたのではありませんか?」
「どちらも?」
真奈が首を傾げる。
「ええ、結局どちらも救われたわけですから」
刑事さんはロマンチストなんですね、と言って真奈は微笑む。一瞬見せたその微笑みは少女のように可憐だった。
「あなたは、どう思われるんです? 王様か、吟遊詩人か、それとも……」
「私はね、どっちも愛してなんかいなかったと思うんです」
無表情に真奈は呟いた。
「王様は夫から自分を奪い宮殿という名の牢獄につないだ。吟遊詩人は自分にはない自由を持っている。憎しみと嫉妬。彼女はどうすればこの二人を破滅させることができるのかって考えたんじゃないかしら」
恐ろしいことを平然と呟く彼女を小島と三島は黙って見守る。
「それで思いついたのよ。憎い王と妬ましい吟遊詩人その二人とも地獄に落としてやるような、そんな策略を。それが“愛してる”という最後の言葉だった……。きっと物語の結末も違うんじゃないかな」
ふふ、と真奈は微笑む。今度の微笑みに先ほどの可憐さは微塵もなかった。小島は汗ばんだ掌を開いたり閉じたりしながら真奈に問う
「奥さん、それとこの事件と一体どんな関係があるんですか?」
真奈は大きく目を見開きいきなり嗤い出した。狂ったような哄笑が響き渡る。
「奥さん……」
困惑する小島を見て真奈はようやく嗤いを収めた。
「あはは、ごめんなさい。別に関係なんてありませんわ。ただあの男から暴力を受けている時ふとこの話を思い出したの。このままじゃアデリアーナ夫人のように殺されてしまうって。それで死んだフリをしてやったの。あの男、すっかり私が死んだと思い込んだみたいでしたわ。実は私ね、学生の頃演劇部に入っていて“苦悶の表情を浮かべた女の死体”って役をしたことがあるんです。だから死体の真似は上手なの。こう、カッと目を見開いて。さぞ恐ろしかったことでしょうね。ふふふ」
再び真奈は嗤い出す。小島と三島は顔を見合わせた。
翌日、真奈の示した場所のひとつで桂木幸一は発見された。首を吊り変わり果てた姿で。
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