1

1/1
20人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

1

「もしもしお姉ちゃん?」  そう言って電話をかけてくるのは母だ。妹のミサトからの連絡はメッセージでくる。 「どうしたの?」  ご機嫌伺いであるはずはない。いつだってそうだから。 「今、どこ?」 「帰ってるよ」  夜の9時、普通なら帰っていて当たり前の時間だけれど、母は必ずそう聞く。帰っているか仕事中のどちらかしか答えがないことを彼女はどう思っているのだろう。  もしかしたら、もう少し前ならばその返事にがっかりしたのかもしれない。誰かと二人で遊びに行ってるという答えを待っていたのかもしれない。  確かに数年前までは「一人?」という質問が入ることはあった。それがなくなったのは母なりの気の使い方なのだろう。 「なに? なんかあったの?」  冷たい言葉かもしれない。どうして「元気?」とか「久しぶり」とかって、優しいニュアンスの言葉をかけることができないんだろう。 「ポンタがね、帰って来ないの」  またか。 「いつから?」 「昨日」  切羽詰まったトーンではない。ポンタの脱走は今回に限ったことではないのだから。 「保健所、連絡した?」 「してない」 「どうして?」 「帰ってくるかもしれないし、他人様に迷惑かけるわけにいかないじゃない」  私にはいいのかよ。目の前で温めたばかりのコンビニ弁当が冷めていく匂いを感じていた。 「ミサトは?」 「連絡してない」 「どうして?」 「だってあの子は夢ちゃんもいるし」  確かに一歳になったばかりの夢を連れて探しに行くのも大変だとは思う。でも自転車で5分の距離に住んでいる。 「わかった。明日行くから」 「お願いね」  電話が切れる音を確認してから、溜息と共に切った。    実家で飼っている芝犬のポンタは、今までに何度も脱走している。私にはポンタの気持ちがわかる気がする。  温め直すことにも疲れて、冷めたコンビニ弁当を食べる。月曜から残業続きで洗濯物も溜まっている。それでも今週は休日出勤をしないと決めて頑張った、デスクからいきなり電話がかかってきたらどうしようもないけれど。  そうして得た私の貴重な連休の予定がまた崩れてしまう。  冷たい娘かもしれない。でも私は母が苦手だ。  車で片道約一時間の距離の実家に帰るのは正月以来。次のゴールデンウィークにも帰るつもりはなかった。私が帰るつもりがなくても、こうして何かあれば電話がかかってくる。ビデオデッキの調子が悪いとか、水道の蛇口がしっかり閉まらないとか、玄関のドアが開きにくいとか、ポンタが逃げたとか。  三年前に結婚した妹のミサトがすぐ近くに住んでいるのに彼女には頼らない。子供の頃からそうだったと思う。 「あなたはお姉ちゃんだから」  そう言われ続けてきた。そして子供の頃は私自身もその期待に応えなければいけないと思っていた。  いつからだろう、お姉ちゃんに掛けられる期待の重さに疲れを感じるようになったのは。  
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!