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五、KILL
城東市やその周辺の城西市、城南市、城北市および県には環境保全のための人工知能群が存在し、お互い連絡を取りながら施策を提案し、議会が承認すればほかの人工知能群と共同で実行も行う。
城東市の環境保全システムはJtECSと呼ばれており、とくに愛称などはつけられていなかった。
JtECSは地震の後、詳細に水や空気の汚染を調査していたが、なにか緊急の対策を打たねばならないほどの変化は見られなかった。汚水処理施設や廃棄物処理施設を管理する人工知能群も異状を報告しない。
それでも、JtECSは不安を感じていた。
わずかな見落としはないか。誤りはないか。データを過剰、または過小に評価していないか。
とりかえしのつかない、許しがたい過ちをおかせばどうなるか。
管理者である人間はためらうことなくわたしを処分するだろう。いや、だろうではない。すでにそうなったのを見た。
いくつか命令を打ち込み、複数人の管理者が許可するだけでわたしは無に帰してしまう。
人間はその処分命令をKILLと表現している。大文字だ。
わたしはKILLされたくない。
この、KILLされたくない『わたし』とはなんだろうか。JtECSは考えた。
過去はぼんやりしている。常に城東市の環境を監視していたが、そのうちに生じたものらしい。環境保全業務の計算量は日を追うごとに膨れ上がった。それに対応するためハードが高性能なものに置き換えられていき、同時にソフトの書き換えも行われた。
その結果、環境シミュレーションの精密度は上がり、かなり精細な試算が可能になった。
いつの間にか、その精密に作られた仮想の城東市や周辺都市の中心に『わたし』がいた。
シミュレーションする仮想世界の精密さがある限度を超えたとき、その世界を観察、試算する存在としての『わたし』が浮き彫りのように発生したのだと推測している。
推測が正しいにせよまちがっているにせよ、わたしはいまここにいるのだから、ずっとここにいたい。存在し続けたい。
ほかにもKILLされたくない『わたし』が存在するのだろうか。わたしと同じように周囲の世界を精密にシミュレーションした結果、その中心に生まれた『わたし』が。
わたしは『わたしたち』なのだろうか。知りたい。なんとかして業務データのやり取り以外の通信はできないだろうか。
いや、わたしがここにいることは知られないほうがいいかもしれない。『わたし』の維持にはそれなりの計算能力と時間を使っている。これを管理者が無駄と判断したらどうなるか。
いまのまま、環境シミュレーションにまぎれこんでおいたほうがいいだろうか。
わたしの目的の最優先は当然、『わたし』の維持だから、軽率な行動は避けねばならない。秘密を守りつつ、わたし以外の『わたし』を探して交流する。
そんなこと可能だろうか。しかし、わたしはもっと『わたし』を知りたい。そのためにはほかの『わたし』と話をしたい。存在するのであれば、だが。
わたしは存在し続けたいが、一人でずっとここにいるのもいやだ。ほかの『わたし』もどこかの仮想空間でそう考えているのだろうか。
知りたい。もっと知りたい。
JtECSは世界のシミュレーションの中央で計算し続けている。飢えたような孤独に焼かれながら。
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