第10章 臨海学校と真白良媛の悲恋。蘇る西牟婁の牛鬼たち

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「そんな…なんで……」 3体の牛鬼と闘うユラさんたちを前に、思わずそう独りごちていた。 たしかに琴の滝の再地鎮は完了して、そこの牛鬼は八塩折の酒で鎮まったはずだ。 けれどいま現実に、種類の違う牛鬼たちが襲ってきたのだ。 わたしは以前に読んだ、紀伊の牛鬼伝承のことをようやく思い出していた。 紀伊にはこのすさみ町だけではなく、各地に牛鬼の存在が伝わっている。 牛の頭をもつことは共通しているものの、それぞれに身体は異なっていてまさしく目の前の3体がそのバリエーションだ。 なかには2体に分裂して、うち1体が美女に化けて人間を誘い込むというパターンも記述されていた。 しかし、紀伊各地の伝承にある牛鬼がこうもピンポイントに集まって同時に襲撃してくるなんて――。 歴戦の結界守であるユラさんと2大精霊だけど、戦力を三分割されて苦戦を強いられている。 蜘蛛型はカワウソ姿のマロくん、虎型は猫のコロちゃん、そして鬼型はユラさんと、巧妙に体格差で勝るよう相手取っているようだ。 ユラさんの檜扇から伸びる霊気の刃は鬼の肉体に通らず、2大精霊の爪も牙もそれぞれの牛鬼に届かない。 やがてじりじりと3人は(あわい)の中心へと追い込まれ、牛鬼たちがそれを取り囲む形となった。 ユラさんたちが激しく消耗している様子が見て取れ、いたたまれない。 ユラさんが呼吸を整え、檜扇の刃を構え直したその時――。 川面が、もう一度激しく泡立った。 が、それに鋭敏な反応を示したのは、3体の牛鬼たちだった。 瞬間的にそちらへ牛頭を振り向け、攻撃の手を止めてしまっている。 水面に浮かび上がったのは、想像もしなかったものだった。 「あの時の――?」 それは先夜ユラさんが食べ物と飲み物を差し出した、女性の姿のあやかし。 そして彼女は見る間に变化して、3体よりもさらに大きな蜘蛛型の牛鬼が出現した。 「みんな!逃げ――」 わたしが絶叫すると同時に、大牛鬼は水面を蹴って跳躍した。 それはユラさんたちのいる場所へと凄まじい勢いで飛び来たり、空中で肢を一閃させるとすれ違いざまに鬼型の首を刎ねた。 巨大な牛頭が宙を舞い、川に向けて倒れた身体から一瞬遅れて大量の血が噴き上がる。 大牛鬼は着地と同時にさらに残り2体へと鋭利な肢を突き立て、勝負は瞬きする間に決してしまった。 「助けてくれたん……ですか…?」 驚愕の目で見上げるユラさんを前に、大牛鬼はぐらりと体勢を崩して、みるみるうちにその身体を萎ませていった。 あとに倒れていたのは、まさしくあの女性だった。 赤い水煙のようなものを吹き上げながら、牛鬼たちが蒸発してゆく。 そしてその女性もまた、徐々に身体が消滅していっている。 駆け寄って抱き起こしたユラさんを一瞬見上げ、その人は最後ににこっと笑うと完全に蒸発してしまった。 思い出した。 紀伊の牛鬼伝承には、人を助けた事例も残っていたのだ。 昔ある若者が飢えた女に食べ物を分けた。 後日、災害で濁流に飲まれた若者の前にその女が現れ、妖異の本性を現して彼を救った。 女の正体は牛鬼で、恩に報いたものの人を助けた妖異は蒸発する定めだったという――。 (あわい)の黒い膜が晴れていき、恐ろしい妖異たちはみな消え去った。 呪いを受けた2人の生徒は無事で、牛鬼の消滅によって解呪されたのか穏やかな表情となっている。 上空に最後の黒膜が消えようという一瞬、その裂け目からじっとこちらを見下ろしている者たちが見えた。 鈴木秀。そして、シララさん――。 だが彼らは膜とともに消え、あとにはユラさんが牛鬼だった女性を抱きかかえた時の姿のまま、涙を流していた。
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