第11章 岩橋千塚と常世の仙果。龍追う人と幻の南葵楽譜

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第11章 岩橋千塚と常世の仙果。龍追う人と幻の南葵楽譜

「コンサートって……あのコンサート?ですか?」 差し出されたチケットを前に、きょとんとしたわたしはまた阿呆のような質問を繰り出す。 「そっ。ええですよお。野外で聴くクラシック。紀伊といえば音楽、音楽といえば紀伊やさかい」 初めて聞くようなことをにこにこしながら嬉しそうに語るのは、久々のオサカベさんだ。 いつものようにふらりとcafe暦にやってきて、唐突にわたしとユラさんの分のコンサートチケットをくれたのだ。 で、これが普通の音楽会ならよかったのだけれど。 「"音楽の殿様"と呼ばれた紀州徳川家16代、徳川頼貞公。そう、頼江課長のひいおじいさんなんよ。大の西洋音楽好きやった頼貞公はヨーロッパに渡って多くの作曲家と交流し、膨大な楽譜や文献を持ち帰らはった。それで徳川家の財産を使い尽くしたっていわれてるけど、ほんまは紀伊の結界強化に音楽を利用する研究をしてたんよ。ほら、山伏も法螺鳴らしたり、音で魔を祓うっていう習俗ありますやん。それを西洋音楽で応用しようとしはったんやね」 立て板に水、といった具合でうれしそうにしゃべるオサカベさんに、ユラさんが注文のコーヒーを渡した。 目がもうぼんやりしていて、ほとんどこの話を聞く気はないぞという意思みたいなものを感じる。 けれどわたしにとっては初めて知ることばかりで、とっても興味深い話題だ。 その後延々と続いたオサカベさんの話をまとめるとだいたい以下の通りになる。 頼貞公がかつて東京の自邸に設けた音楽関係の私設図書館"南葵文庫(なんきぶんこ)"。 それは以後東京大学に寄贈され、コレクションの一部は読売日本交響楽団の所蔵を経て和歌山県に寄託。 2017年から、和歌山県立図書館にて"南葵音楽文庫"として一般公開されている。 もちろん歴史文化のうえでも大変に貴重なものなのだけど、そのうちのいくつかは魔を退けて結界を強める、いわば対あやかしのための曲として作られたのだという。 今回その頼貞公秘蔵の曲を野外コンサートの形で披露し、紀伊再地鎮計画の一端を担おうというのが大筋だ。 コンサート会場は、和歌山市の"岩橋千塚(いわせせんづか)古墳群"。 紀伊の豪族である紀氏の墓とも考えられている古墳時代後期の群集墳で、総数800基超にも及ぶ国内最大級の古墳群だ。 国の特別史跡に指定されているこの遺跡は、まさしく紀伊のネクロポリスと呼ぶにふさわしい。 そんなすごい場所で歴史的にも貴重な楽譜による演奏がされ、しかもそれが結界の機能も果たすなんて。 「ねえねえユラさん、すごいですね!ぜひ行きましょうね!」 すっかり興奮してアハハウフフとオサカベさんと盛り上がっていたわたしは、元気よくユラさんにそう言った。 けれど彼女は、 「そうやねえ」 と明らかに気乗りしない様子でため息をつくのだった。
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