第12章 紀伊のローレライと裏九鬼船団。新宮城のあらたなる丹鶴姫

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第12章 紀伊のローレライと裏九鬼船団。新宮城のあらたなる丹鶴姫

いま、生まれてはじめてクルーザーというものに乗っている。 青というよりは銀鼠(ぎんねず)に横たわる海面をかき分け、白い航跡をひいて船はひたすら南へと下っていた。 広大な山地を抱く紀伊は「木の国」と例えられることがあるが、同時に長大な海岸線をもつ「海の国」でもあった。 県の北部から東部一帯にかけては山の結界がメインだけど、この海に対しても強力な防御が施されてきたという。 それを司るのが、いまクルーザーを操っている「九鬼さん」。赤茶に潮焼けした髪がまさしく船乗りといった風情のナイスミドルで、紀伊における海の結界守である「裏九鬼船団」の長だ。 紀伊にはかつて「熊野水軍」と呼ばれる海の勢力があった。源平合戦では源氏に合力したことで戦の趨勢が覆ったといわれ、戦国時代にはその流れを汲むという九鬼嘉隆が水軍大将として活躍したことが知られている。 九鬼氏は三重県志摩が本拠地とされるが水軍の活動範囲は広く、現在も紀伊には「九鬼」姓が多く伝わっている。 「あさとおから船乗せられて、ずつないことないかい」 九鬼さんが人懐っこい笑顔で白い歯を見せ、わたしに向かって何か気遣ってくれている。 けれど、ほとんど言葉がわからない。 紀伊に赴任してきてからもう1年近く経つのでだいぶ方言に慣れたと思っていたけど、同じ県内でも土地が変わると言葉も結構違うことに気付かされる。 「"朝早くから船に乗せられて、苦しくないかい?"」 ユラさんが耳元で標準語に訳してくれて、やっと意味がわかる。 「ぜんぜん大丈夫です。ありがとうございます!」 波を切るエンジンの音に負けないよう大きな声で返事をすると、九鬼さんがビッとサムズアップで応えた。 「ほやけどお日いさん照ってってよかったかしてなあ」 「ほんによ」 九鬼さんと懇意なのか、同乗しているオサカベさんがのんびりした大声で方言トークを繰り広げ、船縁ではコロちゃんとマロくんが動物姿で海を眺めている。 県北西部の和歌山港を発したこの船は、紀伊半島をぐるっと半周して新宮という町まで走り、海上の結界を更新するのが目的だ。 ところどころでユラさんが祝詞をあげて祈りを捧げ、海の鎮壇が存在することが実感される。 和歌山といえばどちらかというと南国や海のイメージが強くて、目の前に広がる光景は最初に思い描いた紀伊の姿そのものだ。 が、その分もちろん海の怪異についての伝説も豊富だ。 ただでさえ船に乗って海に出ることは命懸けだけど、そこにはおそろしいあやかし達との知られざるせめぎ合いがいまだにあるのだという。
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