第12章 紀伊のローレライと裏九鬼船団。新宮城のあらたなる丹鶴姫

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船は思いのほかおだやかに紀伊の海を南へと下り、途中で幾艘もの同じ裏九鬼船団の人たちとも行き合ったようだ。 時折トビウオやイルカの群れが海面に姿を見せることもあり、わたしはすっかり時を忘れてその光景に見入ってしまった。 が、どれくらい航行した頃だろうか。 岬を巡ったその先に、沿岸から少し離れた大きな島が横たわるのが見えてきた。 「あれが紀伊大島や」 九鬼さんの言葉に、紀伊の地図を思い出してみる。 本州最南端の地、串本から橋でつながっている文字通りの大島だったはずだ。 それに、わたしはその島名を以前から知っていた。 1890(明治23)年、オスマン帝国の軍艦"エルトゥールル号"が紀伊半島沖で台風のため大破。 紀伊大島に漂着した生存者たちを、島民らが総力をあげて手厚く救護するという出来事があった。 このことからトルコは日本への好印象を強めたといわれており、それは後年思いがけない形でも示されることとなった。 1985年のイラン・イラク戦争の際、脱出できなかった215名の在留邦人がイランに取り残されるということがあった。 イラク側は48時間後、イラン上空を飛行する航空機に無差別攻撃を実施することを宣言し、当時唯一の国際線を運航していた国内航空会社は救援機を出せずにいた。 そして動いたのは、日本の窮状を知ったトルコの人々だった。 トルコ航空は日本人救援のための特別機を編成。 危険な任務への志願者を募ったところ、集まったすべてのパイロットが手を挙げ立ち上がったという。 彼らは口々に叫んだ。 今こそ、エルトゥールル号の恩を――。 かくして邦人は無事に救出され、紀伊大島では現在に至るまでトルコとの交流とエルトゥールル号クルーの慰霊祭を続けているのだ。 そんな歴史を題材にした小説と映画を知っていたわたしは、眼前の島影にいいしれぬ感銘を覚えていた。 思わず頭を垂れて黙祷を捧げたけれど、島のさらに向こう側の海には何やら妖気のようなものが漂っている。 耳の奥にきんっ、と鍵のかかるような音がして、やはり濃厚なあやかしの気配が感じられる。 「そろそろや。ちってくさかい、すこけりなや!」 スピード上げるから、ずり落ちるなって! ユラさんが同時通訳してくれた直後、船は加速して妖気の凝る海域へと突っ込んでいった。 いつの間にか海には薄く霧が立ち、周囲はうつし世とかくり世の境を示す(あわい)の黒い膜で覆われていた。 しばらくそのまま不気味な海を走り、やがてすっかり悪くなった視界の先に何かの残骸のようなものが海面から突き出しているのが見えた。 「名勝、"橋杭岩(はしぐいいわ)"や」 それは名の通り、いくつもの橋桁のように屹立する奇岩の群れだった。 海から見るそれは長大で、立ち込める暗く妖しげな気配と相まってこの世ならぬ光景に感じられる。
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