第12章 紀伊のローレライと裏九鬼船団。新宮城のあらたなる丹鶴姫

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九鬼さんの説明によると、そろそろ那智勝浦という地域の沖合に至るそうだ。 熊野三山の一角として有名な那智、そして良港として知られる勝浦。 観光地のイメージが強いこの土地だけど、ユラさんにとっては特別な因縁のある場所でもある。 一ツ蹈鞴講(ひとつだたらこう)の一員として現れたユラさんの妹"白良(シララ)"さんは、12年前にこの地で消息を断ったのだと聞いた。 那智勝浦では満月の日以外に月を凝視すると、桂男(かつらおとこ)というあやかしに招かれて命を落とすといわれている。 月に住む美男と伝わる桂男に招かれてシララさんは姿を消し、ユラさんのお祖父さんである宗月さんはその呪いを受けて亡くなったという。 南紀の海は美しくも妖しく、そうした人智を超えた力の気配が濃厚に漂っている。 串本から先ではきれいに霧が晴れたが、わたしたちが航行しているのはまだうつし世とかくり世のはざまのようだ。 遠く沖合いに、何艘もの不思議な形をした小舟が揺らめいているのが見える。 それは真ん中に小屋のようなものを設えた粗末な舟で、その四囲にはなぜか鳥居が立てられている。 そして、小屋には窓も入口もなにもないのだった。 「あれは補陀落(ふだらく)をゆく舟。たくさんの渡海上人の、さまよえる魂の記憶たち」 わたしの側に立ったユラさんが、いつになくしんみりした声で説明してくれる。 そうか、あれが……。 "補陀落渡海"の舟――。 補陀落とは、観音菩薩が降臨するという霊山を意味している。 熊野でははるか南海に浄土があると信じられ、生きたまま舟に乗ってそこを目指す補陀落渡海という一種の捨身行が実施されたのだ。 平安時代から江戸時代中期にかけて、20回の渡海が行われたとも記録されている。 戦国時代に日本を訪れたイエズス会士、ルイス・フロイスもこのことについて書き残しており、宣教師たちにとっても衝撃的な信仰だったようだ。 結界の海を延々と漂う渡海船団に向けて、オサカベさんとユラさんが合掌した。 「オン ボク ケン」 「アボギャ ベイロシャノウ マカボダラマニ――」 オサカベさんが真言を唱え、ユラさんが祝詞のような邦訳で唱和する。 サンスクリット原典に近いお経のことはさっぱりだけど、ユラさんの唱え言葉でわたしにも呪文の意味が伝わる。 ――オン 不空なる御方よ 毘盧遮那仏よ 偉大なる印を持つ御方よ 蓮華よ 宝珠よ 光明を放ち給え 「――ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」 舵を操る九鬼さんも片手で拝礼し、わたしもみんなに倣って渡海上人たちに手を合わせた。 現世を離れ、生身のままで観音浄土へ至ろうとした人々。 その信仰がどのような気持ちに支えられたのか、あるいはそれが心から望んだことだったのかわたしにはわからない。 けれど何とはなしに、渡海上人たちの足跡が桂男に導かれて姿を消したシララさんのこととオーバーラップしてしまう。 わたしたちの船は、間もなく目的地である新宮という街に至ろうとしていた。 そこにある「新宮城」が、紀伊最東端の結界を司る鎮壇なのだという。
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