第12章 紀伊のローレライと裏九鬼船団。新宮城のあらたなる丹鶴姫

6/8
前へ
/130ページ
次へ
九鬼さんの操るクルーザーは、ついに新宮の沖へと至った。 港ではなく、広大な河口に設けられた水門から河を遡上していく。 これが「川の熊野古道」とも例えられる一級河川、熊野川だ。 世界遺産である「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一部であり、神武がこの川沿いに大和へと至ったという神話の地でもある。 川を遡上してほどなく、正面に鉄道線路の渡る長い橋が見えた。 そして左手には小高い山が聳え、ところどころに城郭を表す石垣の構造物が確認できる。 これが「新宮城」だ。 九鬼さんはそちらへとクルーザーを寄せていき、やがて城の麓の河岸が船溜りのようになった場所でスピードを落とした。 桟橋が設けられており、そのまま城内への登り口に通じているようだ。 「俺が付き合えるんはここまでや。この城の地鎮、頼んだで」 弓と矢筒を小脇に抱えたオサカベさんが船縁から桟橋へと跳んだ。 次いでわたしも橋へ降り、最後に残ったユラさんに九鬼さんは細長い袋を手渡した。 「預かってった。六代目の愛刀、(かがり)や。抜かずに済むに、こしたことないんでけど」 「――おおきに」 刀を受け取ったユラさんも桟橋に跳び、九鬼さんのクルーザーは結界の海へと戻っていった。 わたしたちが降り立ったのは、新宮城の"水の手"。 かつては熊野川に面した船着き場と倉庫群が整備され、遠く江戸との流通拠点になっていたそうだ。 古代遺跡のような石垣の群れを、わたしたち3人は頂上に向けて上っていった。 この城に棲むあやかし、その名は"丹鶴姫(たんかくひめ)"。 この名を持つのは平安末期から鎌倉初期に生きた実在の人物で、頼朝の祖父である源為義の娘としてこの地に生まれたのだった。 かつてここに姫の住まいがあったことから、新宮城は別名を丹鶴城とも呼ばれている。 が、いつしか姫と同じ名のあやかしが、この城に現れるようになった。 夕暮れ時、緋袴姿の女が子どもを扇で手招きし、招かれた子は次の日の朝には命を落とすという恐ろしい伝承がある。 また、丹鶴姫の使いとして黒い兎がおり、これに目の前の道を横切られた子どももやはり命を奪われるのだという。 と、本丸近くまで上がったわたしたちの前を、何かが素早く駆け抜けるのが見えた。 石垣の上で立ち止まりこちらを振り返ったそれは、伝承通りの黒い兎だった。 丹鶴姫の使いと思しき兎は走っては振り返り、まるでわたしたちを導いているかのようだ。 広場になっている本丸跡に至ると、黒兎は真っ直ぐ天守台の方へと走っていった。 城は赤い夕陽に照らされて血のような色に染まり、その先には女が一人佇んでいる。 鮮やかな緋袴、ゆるく一つ結びにした長い髪、そしてユラさんと瓜二つの佇まい。 「――白良(しらら)」 表情を引き締めるユラさんに対して、その人はうっとりするほどやわらかな笑みをこぼした。 「待ってたよ。――お姉ちゃん」
/130ページ

最初のコメントを投稿しよう!

191人が本棚に入れています
本棚に追加