終 章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

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が、このわずかな間に形部は射場へと至り、矢筒から抜き出した霊矢を番えていた。 〈形部!〉 〈いまのうちじゃ!〉 師弟の声に後押しされるように、頭上高々と構えた長弓を呼吸とともに打ち起こしてゆく形部左衛門。 その鏃は、いましも復活しようと身悶える巨大な蹈鞴本体の眼玉を狙っていた。 〈オン――アミリタ、テイセイ カラ………〉 と、封印の矢がまさに放たれようかという直前、滝壺直上の岩場がわずかに揺らめくのを感じた。 「オサカベさん!だめ!」 無意識にわたしが叫んだとき、岩場のあたりで何かがチカッと光った。 その直後、轟音とともに放たれた一発の弾丸が弓を断ち、矢を砕き、オサカベさんの身体を貫いた。 そのまま後ろへと吹き飛ばされた彼に、わたしは悲鳴をあげて駆け寄った。 仰向けに叩き付けられたオサカベさんはすでに気を失っており、肩口から大量の血が流れ出している。 「あかりん、止血を!」 「周りは守るから!」 コロちゃんとマロくんが爪を振るい、あやかしたちを近づけないよう護ってくれる。 わたしは無我夢中でシャツの袖を割き、オサカベさんの傷に押し当てた。 六代目と七代目は肉吸いたちと剣を交え、一対多数で劣勢を強いられている。 と、必死でオサカベさんの止血をしているわたしの手元に、すっと影が差した。 思わず見上げるとまったく気が付かないうちに、一人の男が眼前の岩場に佇んでいる。 黒袴の和装に、手には煙の立つ火縄銃。 「――卑怯だと思いますか?でもね、刑部左衛門も騙し討ちで蹈鞴を封じたのですよ。最後の一矢を隠し持ってね」 鈴木、(しゅう)――。 和歌山城で、高速道で、結界守たちを襲撃してきた一ツ蹈鞴講の首魁……。 結界の裂け目から現れた彼を認めた肉吸いたちは一斉に剣を引き、秀を中心にひとところに集まった。 「もうおやめなさい、歴代の由良たち。紀伊最凶のあやかしが間もなく蘇る。これを封じる手立ては、もう貴女たちにはありません。見てみようではないですか、この脅威にヒトがどう立ち向かうのかを」 淡々と秀が語る。 オサカベさんが倒れ、霊弓ももう使えない。 断崖の蹈鞴は咆哮しながら、その身を岩の呪縛から解き放とうと悶え続けている。 〈……座して物見するわけにはまいらぬ〉 〈わらわとて、かような化物は好かぬわ〉 あやかし狩りの師弟が、ジャキッと剣尖を秀へと向けた。 二人はあくまで戦うつもりだ。 と、秀の横に肉吸いの長が立ち、不思議そうな顔を向けて口を開いた。 「あなたたち、ヒトは。どうして、そんなに、抗うの…?自分たちどうしで、あんなに、殺し合うのに。わたしたちが、あなたたちを少し食べるの、そんなに気に食わない……?」 心からの素朴な疑問――。 そうしたふうに、肉吸いは問うた。 これは近露で封印された河童、ゴウラが発した問いとも通じている。 ヒトを襲うあやかしからヒトを守ること。 その一方で、同じヒト同士が根絶やしになるまで殺し合うこと。 これは人間を一つの種として捉えたとき、どうしても理解できない矛盾した行動なのだ。 でも。それでも。 「ごめんなさい、肉吸いの長。今すぐ答えを示すことはできません。けど、目の前の危機に対するため、私たちは戦います。あなたがたが生きるためにヒトを襲うなら、私たちは生き残るため、この剣を振るう」 六代目に代わって、ユラさんが声を発した。 これがユラさん自身の、紀伊の結界守としてのシンプルな本心なのだ。 肉吸いの長はそれを聞くと、すうっと目を細めて一歩退いた。
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