終 章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

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孫市の魂がわたしの身体に宿ったのと同時に、知らない景色や混沌とした思念のようなものが、とめどなく流れ込んでくるのを感じた。 これは孫市だけのものではなく……"鈴木秀"の記憶――。 彼が何を思い、何を企んで紀伊の結界を弱め蹈鞴を復活させようとしたのか、短い言葉の端々から分かったように思っていた。 けれど、それらは決して語り尽くすことのできない 哀しみに裏打ちされた、"祈り"のようなものだったのだ。 長い歴史の中で突き付けられてきた人間の愚かしさへの絶望。 命が住まう星そのものが悲鳴をあげるなか顧みられない、自然への敬意。 たとえ共通の脅威が迫っていたとしても、決して真には手を取り合うことのできないヒトの(ごう)……。 あやかしという古来からある畏怖の対象は、秀にとって縋るべき原始の神々だった。 彼がもはや人間ではないモノに変じていたことは確かだけど、それでもヒトを含めたあらゆる命への愛惜の念は何より人間らしい思いだったと今理解した。 けれど。 けれど、わたしはただ、目の前の人の力になりたい! 「孫市さま!力を貸して!」 そう叫び、ほとんど無意識に秀の亡骸が右手に携えていた火縄銃を掴んだ。 縄の火は、まだ生きている。 火縄に息を吹きかけて火勢を強め、秀が腰に提げていた道具入れを手に取る。 〈よかろう。そなたの心根、しかと承知した。が、魂がまだ馴染んではおらぬ。(わし)ができることには限りがあるぞ。――娘子、名を問おう〉 「あかり!雑賀、あかりです!」 あかり、その手前の包みを取れ! 心に直接響く孫市の声に従い、細長い小さな紙包みを摘み上げた。 初めて見るはずだけど、今のわたしにはこれらが何なのかはっきりとわかる。 包みの端を噛みちぎり、立てた銃口からその中身を注ぎ入れた。 "早合(はやごう)"――。 火薬と弾をひとつにまとめた、弾薬包だ。 そしてこれは、南無阿弥陀佛の六字が刻み込まれた"祈弾(いのりだま)"であることをわたしは知っている。 即座に銃身下から細長い槊杖(さくじょう)を抜き出し、銃口に挿し込んで弾と火薬を最奥部まで突き固めた。 火蓋を開けて少量の火薬を火皿に充填、再び閉じて火縄を火鋏(ひばさみ)に取り付ける。 そしてわたしはもう一度火蓋を切り、その場で片膝立ちとなって銃を構えた。 銃把を握る右腕の肘は、弓を引くように後ろへ張り出す。 〈あかり、銃床をもっと頬に付けるのだ〉 孫市に従うと、さらに(たい)が締まって構えが安定した。 照準器である前目当(さきめあて)と元目当の位置を揃え、咆哮し続ける蹈鞴へと向ける。 狙うは、その一つ眼。 が、放物線を描く弾道、標的までの間合い、そしてこの銃の癖。これらを加味して照準を補正しなければならない。 〈あと、紙一枚ほど右上……そこだ〉 孫市の導きに従って狙いを定める。 息を吸って止めると、ぴたりと銃が静止した。 〈放て〉 引金を引く。 火縄が火皿に落ちる。 シュボッ、と火薬が燃え上がる。 これらが刹那のうちに連続し、轟音と硝煙をあげて祈弾が解き放たれた。 発射の凄まじい衝撃で後ろへ吹き飛ばされてしまったけれど、わたしの目は蹈鞴の急所を貫く一筋の軌道を、はっきりと捉えていた。
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