終 章 那智決戦、果無山のあやかし達と不死の霊泉

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「ぐぅっ……!」 ユラさんが妖異の腕を掴むのと同時に、シララさんが岩陰に向けて小太刀を投げつけた。 それは上半身だけになった肉吸いの長へと突き刺さり、あやかしは黒い霧となって蒸発してゆく。 「ユラさん!!」 わたしは叫び、彼女の元へまろびながら駆け寄った。 シララさんがユラさんを抱き止め、わたしも一緒に止血を試みる。 が、傷口が大き過ぎて、出血が止まらない。 「……もう…ええん……よ…」 「ユラさん、しゃべらないで…!ぜったい、ぜったい……助けるから!」 泣きながら傷を押さえるわたしの手に、ユラさんがふっとその手を重ねた。 「私の…順番が…来た…だけ……。ありがとう……いま…まで……」 元々白かった肌がみる間に血の気を失い、彼女が目を閉じるとすうっと全身の力が失われていくのがわかった。 「ユラさん…?だめ、だめ…!お願い、息をして!目を開けて!」 わたしは半狂乱で彼女の胸を押そうとしたけど、それを掴んで止めたのはシララさんだった。 「あかりさん、もう、ここで何をしてもだめだわ。でも……一つだけ試す価値のある方法がある」 そう言って立ち上がり、シララさんは太刀で目の前の空間を縦に割いた。 黒く濡れたようなその(あわい)は、はっきりとこの世の理から外れた場所にあることを感じさせる。 「わたしのこの身体では、お姉ちゃんを連れてここを通ることはできない。それに……目的の地に本当に通じるかどうかも、わからない。あかりさんの願いの強さ次第になるし、もし失敗すればもう元の世界には戻れなくなる」 それでも、行ける――? シララさんの問いかけに、わたしは是も非もなくうなずいた。 「はい!この人を死なせちゃだめです!」 次の瞬間、わたしはユラさんともども黒い裂け目に飲み込まれ、そのまま前後左右はおろか上下も時間もわからない空間へと投げ出された。 けれどほどなく、気が付くと熱い蒸気が白く立ち込める岩場に座り込んでいた。 そこは温かく濡れており、硫黄のような匂いが鼻をつく。 〈そこは裏の"湯の峰"。あらゆる命を蘇生させる、不死の霊泉〉 天上からシララさんの声が聞こえてくる。 湯の峰――。そうか、ここが。 熊野の歴史を紐解いたとき、どの本にも必ずこの泉のことが記されていた。 熊野本宮の神職らが湯垢離をして身を清める神事もある、最古の霊湯。 その霊験を示すのに、浄瑠璃などでも有名な小栗判官(おぐりはんがん)の伝説がある。 常陸国の小栗判官は陰謀で毒殺されるが、閻魔大王のはからいで蘇生。 しかし餓鬼阿弥という半死半生の姿となり、判官を乗せた土車は人々に引かれて熊野本宮へと向かう。 湯の峰の霊泉に浸かって元の美丈夫へと復活を果たした判官は、恋人の照手姫と再会し幸せになったという――。 〈完全に身体を浸せる場所を探して〉 シララさんの声に従い、周囲を見渡す。 どうやら岩場のところどころが窪んでおり、そこに霊湯が注いでいるようだ。 すぐ近くに湯壺を見つけて駆け寄ろうとしたが、すでに人影がある。 それはミイラのように干からびた人体で、思わず悲鳴を上げそうになって口を押さえた。 湯煙に目が慣れてくると、そこにはおびただしい数の窪みがあり、それぞれに骨や腐肉の影が沈んでいる。 再生を待つ、無数の魂が静かにたゆたっていた。
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