第2章 影打・南紀重國の刀と由良さんの秘密

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〈――久しいの、重國。またつまらぬ男に憑いたものよな〉 低くくぐもった声が、由良さんから発せられたことに気付いたのは、数瞬遅れてのことだった。 ハンサムな顔立ちながらどこか愛嬌を感じさせるいつもの彼女とは違い、鋭く睨めつけるような眼光で全身から殺気が立ち昇っている。 由良さんではない何かが、そこにいる。 転げて倒れた凶漢はわずかな間、這いつくばるようにして様子を窺っていたが、重國を担ぐように構え直すと再び怒涛の勢いで間合いを詰めた。 またも薄氷を滑る動きで捌く由良さん。 男は勢い余って土壁に激突し、農機具が派手な音を立てて散乱する。 と、足元に投げ出されていた男を一人、また一人と片手で吊し上げては叩きつけてきた。 とてもじゃないが人間の力ではない。 由良さんは飛んでくる大の男たちを、やわらかく止めるように受けては土間の端に転がした。 その影から間髪入れず凶漢が刃を振るうが、一瞬踏み込んだ由良さんは小太刀の柄でその手元を打ち、攻撃を寸前で止めてしまった。 あまりのことに言葉を失っていたわたしだったけど、隣でご当主ががくんと頭を垂れて我に返った。 息はしているが、血を失い過ぎたのか顔色が紙のように白い。 早くなんとかしなくては、取り返しのつかないことになってしまう。 〈娘。当代の願いじゃ。"助かる"ゆえ、案じることはない〉 由良さんの「身体」がそう言ってこちらを向いたその隙を、凶漢は逃さなかった。 大きく身を反らせると刀が後ろの地に着くほどに振りかぶり、凄まじい威力の真っ向斬りを由良さんに浴びせてきた。 何もかもが、刹那のできごとだった。 なのにわたしの目には不思議なことに、スローモーションででもあるかのようにゆっくりはっきりと一連の動きが見えた。 重國の凶刃が頭を捉えるその直前、腰の小太刀を一動作で抜き上げる由良さん。 頭上で斬撃を受けた瞬間、僅かに身体を右に開いてその太刀筋を小太刀の鎬で左側へと受け流した。 鋼と鋼が打ち合わさった筈なのに、聞こえたのは衝突する金属音ではなく、刀が刀の腹を滑り落ちていく擦過音だけだった。 激烈な振り下ろしの勢いをそのまま下方に流され、凶漢の振るう南紀重國は深々と土間の床を斬り込んで止まった。 後には、まるで自らの首を差し出すかのように前傾した凶漢の姿が。 由良さんは受け流したはずみを利用して小太刀を頭上で旋回させると、鋭く左足を引くと同時に凶漢の首に目掛けて打ち下ろした。 首を、はねた――? そう思ったのは錯覚で、鈍い音がした後、男はゆっくりと前のめりになってそのまま動かなくなった。 由良さんは、首に当たる瞬間手の内を返して、峰打ちにしたのだった。 〈無陣流……”(しず)(ゆき)”〉 そう呟くとピュッと小太刀を横に払い、まるで何事もなかったかのように、音もなく納刀した。
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