第3章 血縄の主の大鯰と、裏隅田一族の大宴会

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第3章 血縄の主の大鯰と、裏隅田一族の大宴会

和歌山に赴任してきた新米教師のわたしが住んでいるのは、県の最北東端あたりの町だ。 大阪府と奈良県に境を接するところで、橋本という古い町の南側、高野山の麓に開かれた小さな住宅地「伊都見台(いとみだい)」。 この和歌山県北東地域の古名、「伊都郡」に因んだ名前だそうだ。 その山手側、ちょっと小高くなったところにゼロ神宮――、もとい「瀬乃神宮」が鎮座している。 土地の子どもたちが瀬乃をゼロともじって呼ぶのは、「一之宮より古い」という意味だそうで、小さいけれど”神宮”と称する由緒正しい神社といわれている。 組織上のことはよくわからないけれど神社本庁には属しておらず、実は長きにわたって紀伊の結界を守ってきた歴史をもっている。 その結界守(けっかいもり)を務めているのが、ユラさんだ。 「橘由良」と名乗った彼女は、長い黒髪をきりりと束ねた、長身でとてもハンサムな女性だ。 てっきり巫女さんか神職さんなのかと思っていたけれど、正確にはどちらでもなく強いて言えば「衛士(えじ)」という警備職員にあたるのだという。 わたしは生徒が遭遇した怪異をきっかけにユラさんと知り合い、対あやかしの結界として機能している史跡や工芸品などの文化財を見廻る仕事と関わることになってしまった。 普段のユラさんは瀬乃神宮が経営している「(こよみ)」というカフェのマスターをしており、あやかしに関わる相談事を受ける時だけ、そこは「bar 暦」としてオープンするのだ。 わたしが初めて彼女のもとを訪れた時もそうで、ネクタイにウエストコートという伝統的なバーテンダーの衣装に身を包んだユラさんは、それは格好よかった。 当初は標準語に近い言葉遣いだったユラさんも徐々に和歌山の方言で話してくれるようになり、なにやら仲良くなれた気がしてとてもうれしい。 わたしは生まれも育ちも北海道だけれど先祖が紀州の人で、「雑賀(さいか)」という苗字はそれに由来するのだと、親戚が集まってお酒が入ると必ずその話題になっていた。 憧れの祖先の地を踏んだわたしだけれど、教師といっても歴史科の非常勤講師。 近隣の公立・私立の高校で何コマかの授業をもっているが、もちろんヒマな時がある。 で、ただいまわたしはカフェ暦を絶賛お手伝い中だ。 手続き上は瀬乃神宮の嘱託、つまりアルバイト職員ということにしてもらっている。 これはわたしに瀬乃神宮のことを教えてくれた歴史科の大先輩・岩代先生の仲介で、もちろん非常勤なのでバイトは公認でそもそもそうしなければ食べていけない。 わたしにとってはいいバイトでもあるのだけれど、何よりユラさんと関わる時間が増えたのはすごくうれしいことだった。
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