第4章 空海の大蛇封じと、裏高野の七口結界

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と、濃霧を割って飛び込んできたのは、白と黒の2匹の犬だった。 一瞬悲鳴をあげてしまったけれど、2匹ともぶんぶんと尻尾を振ってわたしの周りを嬉しそうに回り、くんくんとかわいらしく鳴いている。 「わあ……」 思わず差しのべたわたしの手に2匹ともがすり寄り、とても愛くるしい。 首輪はしていないけれど、こんなに人懐っこいので誰かの飼い犬に違いない。 すると2匹が、わたしのポンチョの裾をくわえて引っ張った。 まるで"こっちだよ"と導くような様子で、思わず立ち上がって引かれるままに一歩を踏み出した。 その時、一瞬薄くなった霧の向こう側に人影が見えた。 笠をかぶり、渋みがかった法衣をまとって長い錫杖を手にしている。 山上ですれ違った修行僧だろうか。 わんこたちはわたしをそちらへと誘導しているようで、僧はそれを確かめると踵を返し、錫杖をしゃりんしゃりんと鳴らしながら先導していく。 わたしは、無我夢中で僧とわんこたちの後を追った。 僧は信じられないほど足が早く、頻繁に見失いそうになったけれどその度に歩を止めて待ってくれていた。 すぐ目の前では2匹のわんこが振り返り振り返り、わたしが付いてきているのを確かめているかのようだ。 急な坂を一息に登りきったところで、ふいに平坦なところに出てきた。 息も絶え絶えになってふと顔を上げると、目の前にお寺の山門が浮かび上がり、霧の切れ間に「龍仙寺」の文字が読みとれた。 いつのまにか僧とわんこたちの姿は見えなくなっており、遠くのほうでしゃりんと錫杖の音が立ち、次いで「わん」と2匹が重ねて鳴く声が聞こえた。 すると門の内から、 「先生!」 「あかりん!」 と、口々に叫びながら人が走り出てきた。 ああ、ユラさん。コロちゃんにマロくん。 よかった。お坊さんとわんちゃんたちがここまで連れてきてくれたのだわ。 そう思った途端にすっかり安心してしまい、わたしは気が遠くなっていった。 「――それで、白と黒の2匹のわんちゃんと、修行僧みたいな人がここまで導いてくれたんです」 龍仙寺で手当てを受けてすっかり身体が温まったわたしは、事の次第をみんなに話していた。 ユラさんたちからはぐれてしまったあの時、みんなにもわたしが突然消えてしまったように見えたのだという。 結界の弱体化は龍仙寺までのルートを撹乱し、わたしは運悪くそのはざまに囚われてしまったとのことだ。 「護法童子たる僕らの目の前であかりんを攫うとは」 「ええ、舐めた真似してくれるわね」 マロくんとコロちゃんが、静かにものすごく怒っている。 「そやけどとにかく、無事でよかったわ…」 ユラさんが憔悴した様子で何度もそう繰り返す。 「しかし2匹の犬と修行僧て、まるでお大師さんですな」 濃い眉にぎょろりとした目の、屈強そうなお坊さんがちょっと嬉しそうな声を出す。 こちらは龍仙寺の新住職・龍海さんで、凍えて辿り着いたわたしを懸命に手当てしてくれた人だ。 bar暦で岩代先生は"頼んない"と言っていたけれど、堂々たる佇まいと風格のあるお坊さんだ。 龍海さんのいう"お大師さん"とは、このあたりで空海を指す愛称のようなものらしい。 空海は高野山を開く際、地場の"狩場明神"とその使いである白黒2匹の犬が山へと導いた伝説があるのだという。 たしかに、さっきの出来事はまるでその時の空海と神使のわんこたちが助けてくれたみたいに感じる。
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