第5章 和歌山城の凶妖たちと、特務文化遺産審議会

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「――はあぁ……。けっこうな、お点前でした」 たぶん人生で初めて使う台詞だけど、ごく自然にそう口をついて出た。 頼江課長が目の前で見せてくれた鮮やかなお点前、そしてこの緊張をときほぐすやわらかな抹茶の味わい。 温度と濃度というシンプルな問題は、計算されつくした最適解であることを意識させないほどの自然な心地よさだ。 お抹茶がこんなにいいものとは、まったく思いもよらなかった。 お茶、習ってみようかな……。 「和歌山はなあ、表千家が多いんよ。まあ、そないにおいしそうに飲んでくれはってよかったよ」 にこにこしながら頼江課長が礼を返してくれる。 "徳川"と名乗っただけあって、やはり紀伊の殿様のご子孫なのだろう。 品があって凛としていて、それでいて近所のおばちゃんみたいな気さくさ。 わたし、さっそくこの人が好きだ。 「せや、あっちのテーブルにもお菓子ありますんえ」 とすすめてくれたので、わーいとか言いながら遠慮なくそちらへ向かった。 別に何をしたわけでもないのだけれど、なんともこの雰囲気にストレスを感じていたのか、甘いものがやたらとおいしい。 ユラさんとコロちゃんマロくんはひとつのテーブルに固まっていて、よくみると他の結界守たちも互いに言葉を交わすでもなく、それぞれに散らばっている。 みんなにも持ってってあーげよっ、と菓子鉢を据えたテーブルに至ると、ふいにあの人と鉢合わせた。 「あっ……。鈴木、さん」 それは裏雑賀の代理、鈴木秀と名乗った青年だった。 「ああ、先ほどは」 明るい声でそう返し、にこっと微笑みかける。 目尻にぎゅっとしわが寄って、爽やかさの中になんとも親しみを感じるような愛嬌がある。 「なんか、甘いものすごいおいしくないですか?」 長身をちょっと屈めるようにしてこっそり小声でそう言う様子がおかしくて、わたしは思わず声を立てて笑ってしまった。 「わかります!ストレス…感じてるのかもしれませんね」 「よかった。僕だけじゃなくって。あの、貴女は……」 「雑賀と申します。雑賀、あかりです」 歴史科の教師として北海道から赴任してきたこと、生まれ育ちは札幌だけど先祖が紀伊の人だということなどをかいつまんで説明する。 「そうでしたか…!僕の先祖もね、かつては"雑賀"を名乗った時期があったんですよ。そうかあ、北海道から……。僕達は、遠い親戚のようなものですね」 彼は感に堪えかねたようにそう言い、わたしもなんだか不思議な気持ちになってくる。 一瞬で打ち解けたわたしは他愛もない話で盛り上がりつつ、思い立ってさっきから気になっていたことを聞いてみた。 「ところで鈴木さん。結界守のみなさんって、みんなお互いあんまりお話しないんですね」 すると彼は一瞬困ったような顔をしたけど、すぐにはっきりと答えてくれた。 「そう…ですね。聞くところによると、あえてそうしてるみたいですよ」 「あえて…?」 「うん。結界守はほら、あやかしと戦うことがあるから。万が一取り憑かれて自我を失って、そのままだったら……討伐対象になるから」 はっとした。 そうか、そういう事態はきっと過去に何度もあったんだ。 そしてそうなった場合は、他の結界守が討ち果たす任務を帯びるんだ……。 結界守たちが背負う、過酷な運命に痛ましい思いを抱いたその時――。 突如、カンカンカンカン!カンカンカンカン!と火事の半鐘のような音が鳴り響き、次いで低くサイレンの唸りが聞こえてきた。 「妖気の異常を感知。妖気の異常を感知。城内に何モノかが侵入した模様」 校内放送のようなアナウンスが流れ、場内はにわかに騒然となる。 「えっ!?ユラさ――」 声を出しかけた時、まるで突風に扇がれたかのようにシャンデリアの蝋燭が一斉に消えてしまった。 闇が訪れるその刹那、天井から陸続とシャッターのようなものが降りてきて、広間は細かく封鎖されていく。 そして、暗がりのほうぼうから、次々に悲鳴が上がっていった。
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