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真っ暗闇と思ったのは一瞬で、壁沿いに小さな非常灯のようなものが点々とともっている。
その周囲だけは頼りない光にぽうっと照らされており、わたしたちが寄り添うすぐ近くにも点灯している。
いくつにも区切られたであろう広間のほうぼうからは、悲鳴に混じって何かたくさんの生き物が走り回るような音が聞こえてくる。
ユラさん、コロちゃんマロくんは無事だろうか。
あの3人なら滅多ことなんてないだろうけど……ともかくも、明かりを――。
わたしがライトを点けようとスマホを取り出したとき、その震える手を鈴木さんが掴んで押し留めた。
「雑賀さん、待って。光はだめだ」
彼はそう言うと、非常灯の脇に設置された懐中電灯にそっと手を伸ばした。
視界の端で、何か小型犬くらいの大きさの生き物が、何匹も素早く動き回っているのがわかった。
鈴木さんが懐中電灯のスイッチを入れると同時に、それを部屋の隅に向けて放り投げた。
間髪入れず、ざざざざあっ、と無数の生物がその光に向けて群がってゆく。
浮かび上がったのは、ムササビを一回り大きくしたかのような奇怪な動物たち。
牙を立てて、懐中電灯が放つ光に食いつこうとしている。
「さあ!今のうちに!」
鈴木さんに手を引かれるまま、わたしたちは駆け出した。手近の扉を開けて外へ飛び出し、しっかりと閉め直す。
そこはどういうわけか、最初に天守曲輪へ入ったときに見た渡り廊下状の櫓のひとつのようだった。
「はあっ、はあっ……鈴木さん、いまのは……」
呼吸を整えながらわたしは尋ねた。
即座に対策を立てて部屋から脱出したため、あの奇怪な生き物のことを彼は知っているようだったから。
「あれは、"野衾"といいます。夜に人を襲って提灯の火を食い、生き血を吸うあやかし。かつては和歌山城の森にたくさんいたと聞いています」
火を食う、あやかし――。
そして生き血を吸うだなんて、他のみんなは無事なのだろうか。
「とはいえ、個体としての力はさほどではありません。紀伊の結界守があれだけいるんですから、おそらく皆さん大事ないでしょう」
わたしの心配を見越したように鈴木さんがそう言い、にこっと微笑んだ。
この人が笑うと安心するような、その反面でなぜかどうしようもなくもの悲しくなるような、不思議な思いに包まれてしまう。
「鈴木さん、あの……」
「秀、でいいですよ。とりあえず、天守の上から結界の様子を確認しましょう。お話は移動しながら」
彼の申し出通りに"シュウさん"と呼ぶことにして、天守へと向かいながら状況を整理する。
さっきまでわたしたちがいた広間が"間"であったように、今見ている景色も現実の和歌山城とは異なるものだ。
それは、うつし世とかくり世の境界にある世界。
その証拠に、外の周囲はぐるりと黒い膜のようなもので覆われており、あの時の陵山古墳や南紀重國を祀る屋敷とまったく同じだ。
ここの結界全体を上から見渡せるよう、大天守から確認することが必要だという。
他の結界守たちもおそらくそうするだろうとのことなので、集合ポイントとしても妥当な場所だ。
わたしはシュウさんについてひたひたと櫓の渡り廊下を進み、小天守のフロアから大天守へ、そしてその上へと至る階段にそろりと足をかけた。
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