第1章 陵山古墳と蛇行剣の王

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「結界にはね、"鮮度"があるんです」 マスターの唐突な言葉に、わたしはびっくりして顔を上げた。 標準語に近いイントネーションだと思っていたら、"あるんです"が地の訛りになって急に親しみがわいてくる。 「結界の……鮮度…?」 「そう。しめ縄なら年に一度、盛塩なら毎日。結界のひとつひとつはそんなに強くなくて、だから定期的に何重にも張り直さなくてはならないんです」 すっ、とマスターがナッツを盛った小皿を出してくれた。 すすめられるままに摘むと、塩気とスモーキーな香りが甘いカクテルにすばらしく合う。 「あの古墳の周りの結界が、いつもより早く弱っているのでしょう。そのせいで、よからぬモノが影響しているんだわ。結界を更新して、"障り"の侵入を断たねばなりません」 この人の言うことは、ふつうに考えればオカルトの世界だ。 でも、わたしには何もかも不思議なくらい、すんなり得心のいくことばかりだった。 そういう目に見えないモノたちは、確かに存在している。それらへの感度が人それぞれ違うだけで、鋭敏に感じる者はそれだけ受ける影響も大きいのだ。 わたしにメモを託したあの子、そう、日高さんという女生徒もそうだったのかもしれない。 「明日の夜、陵山古墳の結界を張り直します。私にお任せください」 マスターはほとんど表情も変えずにそう言ったけど、わたしには何より心強い言葉に聞こえた。 ただし、その時には決して現場には近付こうとしないこと、その結果として日高さんの容態が好転するかどうかはわからないことは念を押された。 少なくとも、あの子がわたしに伝えようとしてくれたことはその道の人にバトンタッチできたようだ。 後は早く彼女の意識が戻り、同じような目に遭う子が出ないよう祈るばかりだ。 こういう時でなければいつまでもいたいようなバーだったけれど、用件と一杯のお酒だけで席を立った。 帰り際、マスターの名前を尋ねていなかったことに気付いてそれを問うた。 「理由の"由"に"良い"と書いて、ユラ。橘由良です」 そう答えると、ほんの少しだけ笑顔を向けた。 ――翌日。 わたしの勤務は、いみじくもあの陵山古墳が隣にある県立高校だった。 午後最後の授業を終えて小テストの採点などを済ませた頃には、外はいまにも雨が降り出しそうな暗さだ。 折からの風も強まって、職員室の窓から見える古墳の森がうねるようにざわめいている。 やっと学校を出たときには、ポツポツと雨滴が肌を叩いていた。 あいにく傘を持っておらず、少し迷ったけど古墳の公園を突っ切って近道することにした。 夜に近付かないようユラさんから言われていたが、まだこの時間なら大丈夫だろう。 公園には古墳の森を成す樹々が枝を広げ、一歩足を踏み入れると外から見るよりはるかに暗い。 薄気味悪い思いで歩みを早めると突如強い風が巻き起こり、ゴワッと噛み付くような音で恐怖をあおった。
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