第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

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「そいで、この店も畳むっつうんでねえべか」 勢いづいたわたしはくだを巻き、地酒の瓶を手元に引き寄せてしっかりと抱えた。 「見てみれや。爺っちゃ婆っちゃ方が、はあ、"まんずいい店だったけんにょも、閉めたんだべか。やいや、ワヤだあな"っつって悲しんでるべや」 無論、概念上のことである。 けど、ありありとその光景がみえるわたしはとっても悲しかった。 神社のカフェ、この「(こよみ)」というお店がたくさんの人の憩いの場であることを実感していたから。 「そいでおめえ、オレが足手まといなんだべ」 カッ、と嘲笑って、わたしはさらにどぼどぼと地酒を注いだ。 紀伊のお酒は、すっきりふんわりしていくらでも飲めそうだ。 水もさぞかしいいのだろう。 「ちょっ…先生、あかんて」 「やがます!」 ユラさんが慌てて止めようとするのを振り払い、わたしはおむ、おむ、とグラスをあおる。 かあぁ、なんまうめえ。 「そりゃあ、オレぁものの役にゃ立ってないさ。んでもよ、店さ畳んでおめえ一人が修行して強くなるだあ?それがあずましくないっつってんだべ」 「あずま…?……ん?」 どうだ、言葉さわがんねえべ。 オレだっておめえらのゆってることわがんねときあるさ。 「明日ハローワークさ行ってこお。んで、店は腕のいい職人さ任せれ。したっけ、オレも修行さするぞ。強くなってはあ、背なさ預けられりゃあ文句ないべ」 そう言って、わたしは最後のひと口をおむ、と流し込んだ。 「え…?え…?」 ユラさんが、すっかり混乱している。 「オレぁ!ガッコの!せんせえだの!子ッコら守るんはよう、責務以下の当たり前でないかい!もうおめえにオレを守らせねえよ。強くなってはあ、オレがおめえを守ってやるべよ!」 そこまで叫んだらもう感情の堰が決壊してしまい、ますます悲しくなってもう一度酒瓶を掴んだ。 「あっ、あかり先生あかんて!もうやめときなはれ…」 「やだっ!今夜は飲み放題ってゆった!うそつき!イケメン!このクールビューティー!!」 そうしてわたしは酒瓶を握りしめたまま、わんわん泣き出してしまった。 いやだ、いやだ、このお店が閉まるのも、ユラさんとの関わりが絶たれるのも、絶対にいやだ。 「もう……この子はほんまに…」 そう言いながらユラさんはカウンターを出て、わたしの隣に腰掛けてやさしく肩をさすってくれた。 「でも、おおきにな」 その声を聞いたわたしは、ますます大きな声で泣きじゃくった。 ――いい匂いがする。 ぱちりと目を覚ましたわたしは、ガツンと殴られたかのような頭の痛みに思わずうめいた。 まぶしい朝の光、見知らぬ部屋、見知らぬ天井。 夜に大泣きしたところでぷつりと意識が途切れているが、おそろしいことに他のすべてははっきりと覚えている。 見知らぬベッドの上のわたしは、これまた見知らぬ白い浴衣のようなものを羽織っている。 「念のためやねんけど…」 ふっと枕元からユラさんの声が降ってきた。 湯気の立つコーヒーカップを2つもち、パジャマのようなジャージのようなゆるゆるの服を着ている。 長い髪は無造作な2つ結びに垂らして、お化粧をしていない顔はかえって幼く見えた。 「ここはお店の2階、私の部屋。運ぶ途中で先生がどんどん服脱ぎ出したさかい、浴衣だけ巻かせてもろたんえ。念のため」 私、何いうてんねやろ。と言いながら、ユラさんが枕元のサイドテーブルにコーヒーを置いてくれた。 すごくいい香り。 cafe暦の香りだ。 「いっしょに行こか」 ユラさんがぽそりと呟く。 「ハローワークと、天野」 わたしは、できるだけクールに聞こえるように、 「…予定を確認しておきましょう」 とだけ答えた。 ユラさんはほんの少しだけ片眉を上げて、さも重要そうにこう質問した。 「…で、目玉焼きとスクランブルエッグ、どっちしかええのん?」
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