第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

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天野――。 高野山の南、標高約450mに位置し、かの白洲正子が「高天原(たかまがはら)」になぞらえたという里。 そこに鎮座する紀伊国一之宮・丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)は、弘法大師空海に神領を寄進したという伝説から、高野山の守護神としても名高い。 この地で無陣流を伝えるのは"裏天野"と呼ばれるあやかし狩りの末裔で、結界守と呼ばないのは戦闘を専門とする実動部隊だったためだという。 ユラさんたちのような結界守も人知れず紀伊を守ってきたのだけれど、裏天野の人たちはさらなる影からそれを支えてきたといえる。 あの夜、ユラさんに大見得を切って自分も修行すると断言したものの、正直なところ何のあてもあるわけではなかった。 ただcafe暦の営業については不思議なご縁があって、しばらくユラさんが不在でもオープンできることになり、これはまた別のお話だ。 わたしはほとんどなし崩し的にユラさんにくっついて天野の里へ来たのだけど、担当していたクラスが修学旅行中で授業がない7日間だけという条件で無陣流の道場に厄介になることとなった。 それでどうなるものでもないのは重々承知だけれども、案に相違してユラさんの"お師匠さま"は、そんなわたしを暖かく迎えてくれたのだった。 無陣流第三十六代宗家・信太清月(しのだせいげつ)師範――。 剣術稽古の時、神棚の前で立ち会いとして見守っていた細身の老紳士その人だ。 ユラさんの相手をして太刀を受けていたのは、そのお孫さんにあたる清苑(せいえん)師範代。 子どもの頃からユラさんとともに無陣流を学んだ、弟弟子(おとうとでし)にあたる人だという。 「お師さん、ご無沙汰してます」 長い坂道を延々車で上がって天野の里へたどりつき、最初にユラさんが清月師範に挨拶したのは柿畑の中だった。 「おお、おお」 作業着姿でなにか柿の枝から蕾を落す仕事をしていた師範は、孫の帰省に相好を崩すお祖父ちゃんそのものだった。 "あやかし狩り"という語感と、あの六代目の剣術からおそろしい人を想像していたわたしは、その穏やかな風貌に逆に驚いてしまった。 挨拶をすると、 「雑賀先生のことは、由良からよう聞いとったんよ。まあなんもない所やけど温泉かて湧いちゃあるさかい、ゆっくりしてってください」 と、にこにこしながら言ってくれたのだった。 けど、お孫さんの清苑師範代は、全然態度がちがった。 清月師範が40年ほど若ければこうだろうというすらりとした男前だけど、眼光が鋭くぴりぴりとした緊張感の漲る人だ。 「姉さ……由良さん、ご無沙汰しとります」 そう言って姉弟子のユラさんには頭を下げたけど、わたしには目もくれない。 けど、それは当たり前のことだ。 どこの馬の骨ともわからない小娘が急にやってきて、秘伝の武術道場に転がり込むなんて迷惑でしかない。 だから清苑さんは、清月師範からもっとも基本となる技をわたしへと教授するよう命じられたとき、それはもうあからさまに嫌そうに、 「……受けたもう」 と答えたのだった。
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