第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

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「こっちの道場は、24時間いつでも好きなように使ったってください」 そう言ってわたしにあてがってくれたのは、丹生都比売神社境内の林にある小さな神楽殿のような場所だった。 ユラさんたちが稽古しているのはここから東側、里の端にあたる上天野という地の山中だ。 清月師範も清苑さんも、ふだんは普通に仕事をしている。 師範は柿農家で、清苑さんは役所務めなのだそうだ。 ユラさんが日中にどんな訓練をしているのかわからないけれど、夜になると一日の仕上げとして相剋の太刀を演武するのだった。 その時だけはわたしも同席させてもらって技を拝見するのだけど、部外者が見てもいいものか逡巡していたところ、 「無陣流に秘密らないよ。見たかてそないにでけるもんでもなし。楽にして見ちゃり」 と清月師範は笑った。 わたしがあてがってもらった丹生都比売神社境内の小道場は、かつては武者修行の武芸者や無陣流の内弟子が逗留した場所なのだという。 清月師範の、ころころとかわいらしい奥さんが寝床と食事の気遣いをしてくれたけど丁重に固辞して、持参した寝袋と山食で半分キャンプみたいな生活を送ることにした。 さすがにそこまで甘えるわけにはいかないという、わたしの気持ちを十分に尊重してくれたご夫妻は、 「それでもふらふらしとったら、何ぞ食べさすさかいよ」 と、あくまでもやさしい。 実は日中は柿畑の作業を手伝う気でいたのだけれど、ここにきてほどなく雨が降り出してしまった。 予報では1週間ずっと傘マークが並び、 「こりゃ儂にも稽古に集中せえって、龍神さんのお告げかな」 と清月師範は屈託ない。 わたしは社叢のなか、黙々と木刀を振り続けた。 清苑さんは時々音もなく現れて、二言三言短いアドバイスをくれた。 力を抜け。 でも、対象に当たる瞬間は手の内を締めろ。 左手は腰に添えて安定させろ。 ただ振り上げて振り下ろすというだけの単純な動作で、運動らしい運動ともいえないはずだった。 けれど、軽く感じた木刀はいつしか重みを増し、それを握る手や上下させる腕ばかりでなく、身体のあちこちが連動するように痛みだした。 でも、なんにも考えずにひたすら木刀を振ることに集中するのは、わたしには思いがけず心地よい時間だった。 これまで、ぐるぐると心の中を色んな思いが渦巻いていたのだ。 突如としてあやかしたちと関わらざるを得なくなったこと、ユラさんやみんなに守られてばかりいること、そして、先日の和歌山城襲撃のこと。 わたしは非日常のあのごく僅かな時間のなかで、間違いなく"鈴木(しゅう)"と名乗った青年に惹かれていた。 が、彼こそが結界を弱めてあやかしの侵入を手引した張本人であり、"一ツ蹈鞴講(ひとつだたらこう)"と言ったことから、そうした信念のもとに活動する組織が黒幕であることを示唆していた。 このどうしようもない心のわだかまりを、ただ木刀を振るだけの動作と身体の痛みが少しずつ癒やしてくれるような気がしていた。 腕がもう上がらなくなると、わたしは雨の天野の里を歩き回った。 整然と早苗の並ぶ水田に、雨滴が限りなく波紋を落す光景。 清浄な白霧がとめどなく樹々から立ち上る光景。 それらすべてが沁み入るように美しく、「高天原」というたとえは誇張ではないと思ってしまう。 そしてそんなある時、わたしは丹生都比売神社の太鼓橋の上で、不思議な女性と出会ったのだった。
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