第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

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その日、清苑さんは白い道着に身を包み、真剣の小太刀を携えて現れた。 「一度しかしませんさかい。よう、"見取って"ください」 先の尖った棒を備えた台を置き、そこに畳表を巻いた"巻藁"を刺す。 一礼して小太刀を腰に差した清苑さんはその前に立ち、すうっと両手を下げた。 数瞬ののち、静かに柄へと手掛けした清苑さんはそのまま一歩踏み込み、ゆっくりと抜刀しながら横薙に小太刀を一閃した。 はさっ、と音がしたかと思うと、立てられた巻藁が切断面から向こう奥へとずり落ちていった。 清苑さんはその場で小太刀を返して上段にとり、間髪入れず空に向かって水分(みくまり)に斬り下ろす。 そしてぴゅっと小太刀を横に払い、納刀。 一分の無駄もない、なんという美しい動きなのだろう。 礼をして脱刀した清苑さんに促され、巻藁の斬り口をあらためる。 横一文字と思い込んでいたのは見間違いで、実際には手前から奥に向けて傾斜した太刀筋で斬られている。 それで、巻藁は向こう側へと滑り落ちていったのだ。 「これは相手が抜刀しようとした瞬間、こうして斬り留める技や」 清苑さんは手刀でさっきの太刀筋をゆっくりと再現する。 なるほど、刀を抜こうとする前腕を上からやや下向きの横斬りで留めている。 「これは無陣流の"居合"です。初太刀で防御か先制、必要なら二の太刀の水分(みくまり)で勝負。あとは血振るいして、納刀」 そうか。 これで一連の技、ひとつの"(かた)"になっているのだ。 ぞくっと鳥肌が立つような、静かな感動を覚える。 「居合の定義は様々やけど、平たくいうと抜刀術です。"居"ながらにして急に"合"する、急襲されたとき即座に"居合わせる"技です」 清苑さんはそう言って、わたしに真剣の小太刀を持たせた。 「危ないものやさかい、ほんまは持たすつもりはありませんでした。せやけど、これから何を振るうにしても、"刀の代わり"をさせるためには本物の刀を知らなあかん。もし使わはるなら、ゆっくりと稽古してください」 清苑さんの言葉に頷き、わたしは躊躇なく小太刀を腰に差した。 木刀とは比べ物にならない、ずっしりとした重み。 これからしようとしていることへの覚悟を、最後に問われているかのようだ。 清苑さんの前で、わたしは小太刀の柄に手を掛け、ゆっくりと抜刀していった。 その夜のユラさんたちの稽古は、いつもと違っていた。 ユラさんの前で木刀を構えているのは、清苑さんではなく清月師範。 それにこれまではユラさんが打ち込んでもう一方がそれを受ける形だったけど、清月師範は受けた瞬間に同じ太刀筋で反撃し、それをユラさんがまた受けるという構成になっている。 "互懸(たがいが)け"という、無陣流の上位稽古法らしい。 水剋火の太刀に始まり、火剋金から土剋水まで五行相剋の太刀を互懸けで通す。 圧倒的な気迫、速さ、そして強さを示したのは、老齢のはずの清月師範だった。 ――恐い――。 唸りを上げる木刀の軌跡は激しくも冷徹で、"あやかし狩り"の剣技を伝える人の、生涯をかけた鍛錬の凄まじさを物語っている。 形を終えると、ユラさんは肩が上下するほどに息が上がっていた。 が、清月師範は額に汗を浮かべてはいるものの、即座に呼吸を整えている。 「由良。では、頼む」 清月師範が声をかける。 何が始まるのかと固唾を飲むわたしの前でユラさんは頷いて目を閉じ、胸の前で静かに印を組んだ。 ユラさんが再び目を開いたとき、そこにはあの人が顕現していた。 「お久しゅうございます。――六代様」 清月師範が片膝をついて礼をし、離れていた清苑さんもそれにならう。 〈――清月……?ずいぶんと……老けたものよ〉 歴代最強のあやかし狩りと称された六代目の由良様は、道場の隅々を眺めて、ほんの少しだけ目を細めた。
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