第6章 丹生都姫と八百比丘尼、裏天野の無陣流剣術

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「今宵、六代様にお目もじ願ったのは他でもありませぬ」 清月師範は六代目を見上げ、右側に横たえていた木刀を左手に持ち替えた。 「お若くして身罷られたあなた様に、当流の極意をお授けしたい」 〈極意……じゃと?はっ、その老骨になにができる。そもそも今さら、わらわに必要なものでもあるまいよ〉 「左用。せやから六代様の御為とは違い(ちゃい)ます。この子…ただただ当代由良のため。今はまだ、当代の力では奥義の剣は振るわれへんやろう。やけど六代様がその目で見はりさえすれば、やがてはこの子の血肉となって護ってくれるかもしれへん。不出来な師匠(おや)にできるんは、せいぜいこれまでや。この老骨が砕け散るまで、儂は無陣の太刀を振るう!」 清月師範の、振り絞るような叫びに六代目は何も言わなかった。 そして師範は木刀を手にすると、つかつかと神棚の真下へと歩み、壁に隠された木戸を開いた。 そこには、重厚な五領の甲冑が並べられていた。 「当流の奥義は、習うにあらず。見るだけや。見て覚えぇ。儂も、儂の師匠も、代々そうやって伝えてきました」 清月師範はいちばん右端の甲冑に相対すると、中段に構えた木刀の切っ先五寸ほどを、兜の頂点にぴたりと密着させた。 「御覧(ごろう)じよ。無陣流奥義、相乗(そうじょう)の太刀……。"水乗火(すいじょうか)"――」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 わたしはまた太鼓橋の上でぼんやりしながら、昨夜のことを思い出していた。 清月師範が六代目に示した、奥義の剣。 あれは人間が振るうものでも、ましてや人間に振るうものでもない。 まさしく人ならざる脅威に対する、人を超えた技だ。 あまりの光景の余韻に熱が冷めやらず、ため息をつく。 と、後ろに人の立つ気配がした。 「お稽古は進んでいる?」 白い傘の下で夕顔のように微笑むのは、ちとせさんだった。 わたしは言葉を発しようとしたけど、それより早く神社の方から玉砂利を踏む音が届いた。 「……いらしたわね」 嬉しそうに呟くちとせさんの視線の先には、木刀を携えたユラさんの姿が。 いや、あの眼光と雰囲気は、六代目だ。 そのまま太鼓橋を上ってきた六代目は、頂点でちとせさんと対峙した。 〈……変わらぬな、そなたは。今は何と名乗っておるのじゃ〉 「由良様こそ、今生も麗しくおいでで。今の私のことは、"ちとせ"とお呼びくださいな」 六代目とちとせさんは、見知った仲だった。 けれど"今生"とは、何を意味しているのか。 〈ちとせ。そなたの差し金であろう〉 「まあ。差し金とは人聞きのわるい。お心残りでございましたでしょう?奥義のことは。……お試し、あそばされては?」 と、橋と池の周囲が突如として黒い膜のようなものに覆われ、わたしは耳の奥にきんっと鍵のかかるような音を聞いた。 うつし世とかくり世の境界、"(あわい)"――。 その異空間となった橋の上ではちとせさんが微笑んでいる。 そしてその後ろから「かしゃん、かしゃん」と金属音を鳴らして、一体の鎧武者がゆっくりと橋の円弧を上ってくるのだった。
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