第7章 不動山の巨石と一言主の約束。裏葛城修験の結界守

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「課外授業、ですか」 なるほどそれはいいことだと、わたしはハタと膝を打った。 授業を受け持っている私学の一校で、地域の歴史学習に関する恒例行事があるという。 土地の史跡などを実地に訪ねて、その息吹を肌身に感じるというものだ。 毎年行く所は何か所か決まっているとのことだけど、そのうちのひとつはちょっと山深いところだそうだ。 その学校の歴史科の先生方はみんな定年間近で、去年までは頑張って引率していたものの、今年は新入りのわたしにお鉢が回ってきた次第だ。 「いやあ。雑賀先生みたいな若い人来てくれて、ほんまに助かるわあ」 「せやなあ、あっこはもうねえ。階段がえらいんやしてなあ」 等々、その史跡への道のりの険しさが口の端にのぼっている。 なんでも、600段を越す急階段の果てに鎮座する磐座なのだという。 わたしは一も二もなく引き受けた。 学生時代を通じて運動部ではなく、体力にもさほど自信があるわけではないけれど、だって面白そうなのだもの。 というわけで、生徒たちを引率する日に備えて、その史跡の下見に出かけることにした。 ところが案の定、そこも紀伊の重要な結界の一部らしい。 どういうネットワークなものか、わたしが課外授業を引き受けたその日にトクブンのオサカベさんから電話がかかってきた。 「雑賀せんせい、こんばんはあ。トクブンのオサカベですう。こないだはえらいことやって、ほんまに。ほんで、あっこの山登らはるん?若いさかい色々頼られるけど、かんにんしたってくださいねえ。ユラさんがいてはれへんから、護法童子さんについてってもろて。それと、あの辺専門の結界守に声かけたさかい、現地で合流してくれますう。まだ学生さんやそうやけど、間違いない人らあやで。ほんまに。あ、それと動きやすい服装で。そやね、塩飴とかもあったしか――」 オサカベさんの説明はしばらく続き、いつのまにかおすすめの和歌山ラーメンのお店の話になってから長電話は終わった。 これらを要約すると、つまりは軽登山装で行くようにということだった。 わたしは裏高野以来の山ガール支度をして、わくわくと当日に備えた。 "不動山の巨石"と、現地案内板にはそう書かれている。 瀬乃神宮のある伊都見台から少し南へ下ると、和歌山と大阪の境を東西に区切る雄大な山に突き当たる。 金剛山地の一角を成す山系で、登山客にも人気のルートの一つだそうだ。 その中腹に杉尾(すぎお)という村があり、そこから金剛山地の尾根へと至る山道の途中に山岳信仰の巨石群が鎮座しているのだ。 これはかつて、修験道開祖"役小角(えんのおづぬ)"が葛城山の神である"一言主(ひとことぬし)"に命じて集めさせたものという伝説がある。 それは奈良吉野の金峯山へと直通する橋を架けようとしたためで、頓挫した工事の部材がそのまま残されていると伝わっている。 そしてこれらの行場で今も祈りを捧げているのが、はじまりの修験道とも言われる"葛城修験(かつらぎしゅげん)"の行者たちなのだ。
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