第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

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第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

不可解な事件が、新聞の地方欄やローカルTVを賑わせていた。 県北の伊都地方で梵鐘、つまり寺社の釣鐘が次々と消えたのだ。 しかし鐘楼や鐘撞き堂から忽然と姿を消したそれらは、少し離れた水田の中や線路脇などといった脈絡のない場所で後に発見されている。 愉快犯、という説は根強い。 だが、釣鐘というものはとんでもなく重い。 口径が50cm位のものだと、その重量は実に100kg近くにもなるそうだ。 単なるいたずらで、そんな重さのものをわざわざいくつも移動させるだろうか。 もう一つ、文化財専門の窃盗団の関与も疑われていた。 和歌山県では事実、過疎地や廃村の仏像などが盗難に逢い、闇のマーケットに流れるという事件が後を絶たない。 そうした集団が梵鐘を盗んだものの、あまりの重さや何らかの事情で途中放棄したのではないかというものだ。 が、これも機械力で運んだとしたら、水田の中央や車道と離れたローカル線の線路脇から見つかったことの説明がつかない。 そして何より、釣鐘が持ち去られた寺社や、それが発見された辺りに車輪の痕跡や人間の足跡は見つからなかったのだ。 そう、人間の(・・・)足跡は。 「――信じられへんけど、この状況からはそれしか考えられへん」 実況見分に訪れたトクブン――特務文化遺産課のオサカベさんが、いつになく難しい顔でそう言った。 事件現場の報道でよく見るような"KEEP OUT"の規制線の内側は幕で覆われ、中央には梵鐘が逆さまに転がっている。 そしてその周囲には注連縄(しめなわ)の結界が張られ、白衣(びゃくえ)に身を包んだ鑑識のような人たちが慎重にその土壌からサンプルを採取していた。 そこに深々と穿たれた足跡は、まず大きさからして人のものではない。 そして、まるで片足だけで飛び跳ねでもしたかのように、一足だけの跡がその向こうへと続いていた。 "一ツ蹈鞴(ひとつだたら)"――。 紀伊にはかつて、そう呼ばれた大妖怪が存在したという。 奈良の南部や三重の熊野地方でも広く知られ、"一本だたら"と呼ばれることもある。 一つ目に一つ足という姿で、山中を行く旅人らを襲ってはこれを喰らっていた。 そのうち那智の山を棲みかとした一ツ蹈鞴は寺の僧を好んで捕食しており、これを討伐したのが"狩場刑部左衛門(かりばぎょうぶざえもん)"という若き弓の達人だったそうだ。 巨大な梵鐘を鎧代わりに被って襲いくる一ツ蹈鞴に、刑部は九十九本の矢を射尽くしてしまう。 しかし、矢切れと思って鐘を脱ぎ捨てた一ツ蹈鞴を、刑部は最後の一矢で射抜いてこれを滅することに成功。 今も那智の近くの色川神社に刑部が祀られているという。 この名前に聞き覚えがあったのは、ユラさんが妖刀に取り憑かれた男を鎮圧したときの出来事による。 あの時、六代目由良の前でオサカベさんは「当代の狩場刑部」を名乗ったのだった。 オサカベさんの中には、一ツ蹈鞴を狩った伝説の武人の魂が受け継がれているのだ。
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