第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

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「伝承にある一ツ蹈鞴いうんは、一体だけと(ちご)たんよ」 難しい顔のまま、オサカベさんが説明してくれる。 紀伊半島の広範囲にその存在が伝わる一ツ蹈鞴、あるいは一本だたらは過去にあやかし狩りと戦いを繰り広げてきたらしい。 が、主に半島南部や深い山中での出来事として伝えられている。 もしやそれが昨今みられる結界の弱体化で、北上してきたとでもいうのだろうか。 「雑賀せんせい、頼まれてほしんよ」 いつになく真剣な顔でオサカベさんが示したのは、一枚の地図だった。 それは和歌山県北の地図で、マーカーでいくつもの赤丸と日付が書き込まれている。 そこには⛩や卍の記号があることから、最近の梵鐘喪失事件のあったところだとわかった。 「初めて釣鐘なくなってたのがここ。そして、ずーっとこっち来て……今がここや」 オサカベさんが地図上で、東から西へとつーっと指を滑らせる。 その印は紀ノ川の北岸から徐々に西へと、つまり和歌山市方面へと移動していた。 「これがほんまに一ツ蹈鞴やとしたら、奴はかつて鎧の代わりにまとった強力な梵鐘を探してるんや」 そこで、まだ接触されていない周辺の寺社を周って、釣鐘にあやかし封じの結界を施していくこととなった。 それはある方向へと誘導するように仕掛けられ、特定のポイントで一ツ蹈鞴を捕捉あるいは滅する大規模な作戦になるという。 オサカベさんから渡された結界用の札を携えて、わたしは原付のスクーターで指定されたいくつかの寺社を訪ね、梵鐘の内側に札を仕込んでいった。 正直なところ得体の知れない大妖怪の話はおそろしかったけれど、バックパックには常に動物姿のコロちゃんとマロくんがいてくれたので心強かった。 「2人は一ツ蹈鞴のことを知ってるの?」 空海さんや楠木正成さんの記憶もある、千数百年を経た大精霊におそるおそる聞いてみる。 と、案に相違してコロちゃんとマロくんは猫とカワウソ姿のまま表情を緊迫させた。 「もちろん……」 「……知ってるよう」 「正直なところ、その名を聞くと…」 「手足が震えるよう」 これまで大概の妖異は近づくことすらできなかった大精霊たちが、こんなに怯えるなんて。 一ツ蹈鞴とはそこまで強力なあやかしなのか。 わたしたちが所定の結界札を仕込み終えた頃、伊都でまたひとつ梵鐘が消えた。 それは橋本市の相賀大神社(おうがだいじんじゃ)に下がる鐘。 元禄13(1700)年の銘があり、多くの鋳物師がいた在地の柏原村で鋳造されたものだ。 この相賀大神社は社叢に8基が確認された古墳群を抱き、南北朝時代の銘がある石灯籠が県指定文化財になっている。 そして在地の有力豪族である生地(おんじ)氏が神官を務めたとされる、地域の総氏神でもあるそうだ。 市の指定文化財でもあるこの神社の梵鐘は、わたしも赴任してきた頃に見に行ったことがある。 第二次大戦中に金属素材として供出されたものの戻ってきたという経緯があり、その時の品質試験で開けられた穴がとても印象深かった。 その梵鐘が、忽然と消えてしまった。 そしてまだ、今までのように周辺で発見されたという報告もない。 「気に入ったんかして、今度(こんだ)は被ったまま(いご)いとらして」 再び実況見分で顔を合わせたオサカベさんが、不敵な笑みを浮かべた。
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