第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

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ユラさんがいたら、ここには彼女が座っていたはずだ。 疾走するオサカベさんの車の助手席で、等間隔に流れ行く道路灯を眺めながらそう思っていた。 事件が起きてすぐ、特務文化遺産課はユラさんに連絡を試みたがとうとう繋がらなかったそうだ。 わたしも本人の連絡先は知らず、裏天野の清月師範に問い合わせると修行の仕上げのため山に入ったままなのだという。 ユラさんのことだからきっと大丈夫だろうけれど、こういう緊迫した事態で彼女の不在がなんとも心細い。 いつの間にか、ものすごく頼りにしてしまっていたのだ。 と、車中でもずっとわたしの肩に乗っているコロちゃんとマロくんが、フゥーッと毛を逆立てた。 「……鐘が()うなってるわ」 前方を見やると一台のクレーン車が路肩に止まっており、そのアームとフックは引きちぎられたように損傷している。 ここに、一ツ蹈鞴をおびき寄せるために仕掛けられたダミーの釣鐘がかけられていたのだという。 「先生、近いで。見つけたら教えてな!」 オサカベさんがそう声をかけた瞬間、はるか前方で黒い影が斜めに走った。 それは力強く伸縮しながら跳躍を繰り返し、ジグザグに道路を西へと向かっている。 「おった…!一ツ蹈鞴や!」 オサカベさんが叫び、コロちゃんとマロくんがシャァーッと唸った。 「目標視認。第1捕捉ポイント、捕獲網および狙撃準備」 無線機のようなものでオサカベさんが指示を出し、応答の声がスピーカーから流れてくる。 と、ずっと先の方でカッとフラッシュを焚いたかのような光が走り、直後に道の両側からいくつもの火炎が立って銃撃音が鳴り響いた。 思わず首をすくめたわたしの耳にスピーカーから、 「第1防衛線、突破された!」 「祈弾(いのりだま)の効果不明」 「捕獲網、3重でも破られたで!」 等々続けざまに報告が聞こえてきた。 いや、報告というよりもむしろ現場の恐慌がそのまま伝わってくるようだ。 スピードを落とさずその地点を走り抜けた時、道路の両側に伏せる幾人もの僧たちが見えた。 いずれも長い銃を抱えており、彼らが裏根来の狙撃僧兵なのだろう。 「祈弾(いのりだま)、っていうてね」 前を向いたまま、オサカベさんが教えてくれる。 「昔、猟師が山に入る際には、必ず"南無阿弥陀佛"って刻んだ弾をお守りに携えたらしんです。特別な祈りを込めた最後の一弾で、もちろん対あやかし用のもんや。せやけど、鐘を被った一ツ蹈鞴にはそれが効けへん。鐘自体の厚みもあるけど、神仏への祈りが込められた法具やさかい、そもそも祈弾の効果なんかあれへんのです。奴が梵鐘を好むのはそのためもある。一ツ蹈鞴を封じるためには、本体を攻撃さあなあきません」 オサカベさんは苦虫を噛みつぶしたような顔で、眉間に深い皺を寄せている。 そうだ。この人が受け継いだ"狩場刑部左衛門"は、かつて一ツ蹈鞴と死闘を繰り広げたのだ。 その戦いの記憶が、オサカベさんを苛んでいるのだろうか。
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