第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

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カァン! 澄んだ弦音(つるね)が甲高く冴え渡り、霊気の籠もった一矢が放たれた。 それは着地した瞬間の蹈鞴の足元へと射込まれ、妖異の次の跳躍を自由にさせない。 その両脇を疾駆する2大精霊が即座に反応し、刑部左衛門が狙いをつけやすい位置へと蹈鞴を追い込むべく機動してゆく。 矢筒から霊矢を抜き取り、刑部は次々につがえては間髪入れず射を放っていく。 その度に弓弦は硬質な反響音を奏で、唸りを上げて矢は路面へと突き立った。 と、巧みに身をかわしていた蹈鞴の動きが、ほんのわずかに鈍った。 〈見えた…!次は――!〉 刑部(ぎょうぶ)が目を閉じて呼吸を整え、頭上高く掲げた長弓をゆっくりと打ち起こしていく。 つがえられた霊矢は白い霧雨のような粒子を周囲にまとい、弓弦が引き絞られるに従って鋭く収斂していった。 〈オン――!〉 かっ、と刑部の双眸が開かれた。 〈アミリタテイセイ、カラウン!〉 カァン! 弦音が響き、今度の矢は蹈鞴の被った釣鐘本体へと向かっていった。 頑強な厚みにたやすく弾かれるかと思われたその矢は、そのまま鐘ごと貫いたかのように突き立った。 蹈鞴が、金属を引き裂くような絶叫とともにもんどり打って路面へと転がった。 すぐさま両側から駆け寄った2大精霊がそれを爪で抑え込み、車を停止した頼江課長はフルスピードでそこまでバックさせる。 刑部を先頭に車から降りたわたしたちは、慎重に蹈鞴へと近づいていく。 夥しい血を流しながら痙攣する妖異は、すでに腐った肉のような死臭を放ちながら蒸発を始めていた。 刑部の矢は、鐘を射抜いたわけではなかった。 そこに転がっていたのは、第二次大戦時の供出で穴を開けられた、相賀大神社の梵鐘だった。 刑部はその穴を狙い、あやまたず中の蹈鞴本体を射たのだった。 神業としかいえないような実技にお見事、といいかけたその時、刑部ではなくオサカベさんが怪訝な声を放った。 「待て…!無くなったダミーの鐘は、どないしたんや…!?」 一瞬周囲がさらに暗くなったかと思われた瞬間、わたしたちの真上から巨大な釣鐘が落下してきた。 「あぶないっ!」 精霊たちが皆を突き飛ばしてくれるのがもう一瞬遅ければ、わたしたちはその下敷きになっていただろう。 ずずんっ、と路面に落とされた真新しく大きな梵鐘は、そのままぐぐぐぐっと持ち上がってゆく。 そこからは、禍々しい一本の足が突き出していた。 もう一体の一ツ蹈鞴は、耳をつんざく金属音で咆哮した。 ぐるん、と身をよじると周囲に衝撃波のようなものが立ち、わたしたちは車の辺りまで吹き飛ばされた。 蹈鞴はもはや跳躍する素振りも見せず、ここでわたしたちの息の根を止めるつもりのようだ。 高速道の上り下り両方面からは光の群れが近づいており、結界を狭めながら裏高野と裏三社の部隊が追い付いてきたのだ。 が、すでに刑部左衛門の力を使い果たしたのか、オサカベさんは立っているのがやっとの状態だった。 荒れ狂う蹈鞴を前に、頼江課長は車の後部から細長い桐箱を取り出し、ユラさんに差し出した。 「…やってくれるか、ユラちゃん。いや、六代様」 そう言って箱の蓋を開けると、そこには呂色の鞘に黒い柄巻きが施された、一振りの長刀が横たわっている。 それを無造作に手に取ったのは、ユラさんではない。 〈影打・初代南紀重國……号"(かがり)"。よもや再び、わらわの手に戻るとはな〉 不敵に口角を吊り上げるのは、"歴代最強のあやかし狩り"と呼ばれた六代目由良。 ユラさんの身に宿ったその魂は、ゆっくりと帯に刀を差した。 黒呂の鞘が緋袴に映え、いっそこちらが禍を運ぶかのような鮮烈さだ。 〈刑部よ。"たたら狩り"の二つ名、これよりわらわのものじゃ〉 六代目はそう言うと、凄艶な笑みで長刀を抜き放った。
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