第8章 消える伊都の梵鐘。最凶のあやかし"一ツ蹈鞴"の胎動

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終わった……? ほんとうに、この闘いは……。 少しずつ黒い霧となって蒸発していく蹈鞴を前に、すぐ近くまで迫っていた結界がついに解除された。 安堵の空気がようやく伝播していき、激闘を演じたオサカベさんとユラさんに数人が駆け寄ろうとした、その時。 わたしは耳の奥で、きんっと鍵のかかるような音を聞いて鋭い痛みに頭を押さえた。 蹈鞴の(むくろ)の周囲から次々に黒い膜のようなものが出現し、それは見る間に広がってわたしたちのいる空間を半円形に囲ってしまった。 思わず手元の武器を構えたわたしと頼江課長だったけど、オサカベさんもユラさんも立てる状態ではない。 2大精霊も霊力を振り絞ったためか、元の小柄な獣姿に戻って倒れている。 蹈鞴のすぐ側で、すうっと縦に黒い亀裂が走った。 それは幕のようにふわりと左右に分かれ、中から手が――真っ白でたおやかな両手が差しのべられた。 「かわいそうに。でも……よくがんばったね」 妖異の骸にやさしく囁きかけて、一人の女性が姿を現した。 ゆるく一つ結びに束ねた長い黒髪、慈愛に満ちたやわらかな目元、まとうのは巫女のような白衣と鮮やかな緋袴。 そして彼女は、わたしをいつも助けてくれる女流剣士と、その佇まいがそっくりだった。 「―――白良(しらら)……?」 意識の戻ったユラさんが、その場に膝をついたまま驚愕の目で見上げている。 シララ…。 そうだ。 cafe暦でアルバムから落ちた写真に、幼いユラさんとともに写っていた女の子の名前。 と、黒い亀裂の幕からもう一人が現れた。 ――鈴木、(しゅう)! それはあの和歌山城襲撃事件の首謀者、裏雑賀の代理を名乗った青年だった。 「やれやれ。最凶のあやかしとはいえ、一ツ蹈鞴のコピー程度にこのザマですか」 嘲るように言い放った彼に対し、頼江課長が素早く銃口を向ける。 「おっと。撃ち合いで勝てるとでも?私の"雑賀孫市(さいかまごいち)"公に。今日はこれ以上争うつもりはありませんよ。蹈鞴の魂さえ回収すればね」 そう言って鈴木は蹈鞴の死骸に手をかざすと、虹色に輝く球体が浮き上がってきた。 「今ある結界とは、人間の都合だけで定められた(いびつ)なものです。それは、結果としてこの天地を守るものではない。ひいては人間にも巡り巡って仇となっているのですよ。世界をあるべき姿に、人があやかしと天地に真の畏敬を捧げる世に戻す。それが、我々"一ツ蹈鞴講(ひとつだたらこう)"の目的です」 鈴木は虹色の球体を手にし、シララと呼ばれた女性は消えゆく蹈鞴の骸にそっと手で触れた。 「ではまた。結界守の皆さん」 芝居がかったお辞儀を残して、鈴木は黒い幕の向こうへと姿を消した。 シララさんはユラさんの方をじっと見て、やがてうっとりするような微笑みを投げかけた。 「私は、元気だよ。――お姉ちゃん」 そうして鈴木の後を追って幕の向こうへ身体を溶け込ませる。 「待って!白良(しらら)!行ったらあかん!お願い……!!」 ユラさんの叫び声も虚しく、黒い亀裂はゆっくりと閉じていく。"(あわい)"を示す黒の膜も次々に消滅し、わたしたちは元の高速道の上にいた。 「白良……!」 俯いて嗚咽するユラさんに、わたしは駆け寄ることもできなかった。 傷付き疲れ果てた結果守たちを、今しも白みはじた東天だけが労おうとしていた。
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