第9章 中辺路の河童、ゴウラの伝説。天地の松と永遠の狛犬

3/8
前へ
/130ページ
次へ
和歌山県田辺市――。 紀伊の中南部に位置し、1,000平方kmという広大な面積は近畿地方の市としては最大にあたる。 民俗学・博物学の奇才として知られる南方熊楠が後半生を過ごし、合気道を創始した植芝盛平や源義経の郎党として名高い武蔵坊弁慶の出身地ともされている。 そんな田辺は熊野参詣の重要なルートのひとつでもあり、現在も多くの人々がこの地を訪れる。 かつて「蟻の熊野詣で」と例えられるほど、熊野参詣は隆盛を極めた。 熊野という霊場は「甦りの地」といわれるように、強力な霊験をもつと信じられたこともあるが、何よりもその懐の深さがあらゆる階層の人々を虜にしたといわれている。 貴族だけではなく庶民も、そして老若男女を問わない参詣者を分け隔てなく受け入れてきた。 寺社では血を忌むことが多いため女性は月の障りに参拝を諦めることがあったというが、熊野の神は託宣でそれが問題ないことを和泉式部に伝えたという故事は有名だ。 そんな田辺は市街地は賑やかだけど、一歩山手の方に足を踏み入れると古代からの神々の息吹を如実に感じられる風情を醸し出している。 「ゼロ神宮さん、遠いとこようお詣り。今日はよろしゅう頼みます。ほな、行こら」 現地で合流したこの方は"玉置さん"。 よく日焼けした中年男性で、熊野古道のボランティアガイドをされている。 けれど実は結界守の一人で、特別に"古道守"とも呼ぶのだという。 ユラさんとは地の言葉で会話しているのだけど、わたしが普段聞いている県北東の方言とはちょっと違う。 紀伊もけっこう広いので、やはり言葉にも相当な違いがあるとのことだ。 「ここがねえ、近露大橋いうんよ」 玉置さんが案内してくれたのは、日置川という美しい川にかかる橋。 よく見ると欄干にかわいらしいカッパのオブジェが乗っかっている。 「ここいらでは昔、河童……"ゴウラ"とか"ゴウライボーシ"とか言うんでけどね。そいつがごっつう悪さしやって。せやけどおまん、馬を川に引きずり込もうとしたら逆に引っ張られて捕まってしもたんよ。ほいで、"松の木淵の松が天に届くまで、橋谷の枝垂れ松が地に届くまで、下宮の狛犬が腐るまで"はもう悪戯せえへんちゅうて、封印されたんやして」 両方の松の木はもうないらしいけど、「下宮の狛犬」は明治の初め頃に現在の近野神社というところに移設されたそうだ。 かつて子どもたちは川へ遊びに出かける前、狛犬が腐って再び河童が復活しないか必ず確認したのだという。 そういえば裏高野で空海の大蛇封じの話を聞いたとき、「再び竹ぼうきを使う時代になるまで」という期限で妖異を封じたとのことだった。 こうした時限式の封印が、紀伊ではひとつの(しゅ)のスタイルになっているのかもしれない。
/130ページ

最初のコメントを投稿しよう!

191人が本棚に入れています
本棚に追加