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「名にし負う、近露の五来法師さまとお見受けします」
恭しく声をかけたユラさんに、河童が猫を思わせる縦長の瞳孔をギロッと向けた。
「僕は紀伊・瀬乃神宮の衛士、橘由良と申す者。ゴウラさまにお伺いしたきことがござりま…」
〈――下宮の狛犬は腐ったのか〉
ゴウラと呼ばれた河童が、ふいに口を開いた。
はっきりとした発音の、重々しい人語。
そうだ、ゴウラは松の成長と狛犬の劣化という時限付きで封印されていたのだ。
一時的にそれを解かれたことで、約束した狛犬風化の時が訪れたのか聞いているのだ。
存外義理堅いことに驚いてしまう。
「は――。狛犬はいまだ健在にて。紀伊の鎮壇を再地鎮する中途にて、ゴウラさまの封印を一時解きましてございます」
〈で、あろうな。石の狛犬がさように腐るはずもなし。松は枯れたようである故、もはや永えに天にも地にも届かぬな〉
ゴウラは目を細め、水掻きのついた手を顎へとやった。
岩の上に泰然と座し、理路整然と語る様はまるで哲学者かのようだ。
「ゴウラ様、重ねて申し上げまする。お尋ねしたき義がございます」
ふむ、とゴウラはユラさんを見下ろした。
人外のその眼は、深い水底の色を湛えている。
〈よかろう。我が願いに応じるならば、知る限りを答えよう〉
相撲を一番、所望する。
そう言ってゴウラは、枯れ枝のような指で玉置さんを指し示した。
〈相当な修練を積んでおるな。手合わせをしよう〉
ぴょんっと岩から飛び下りて、玉置さんと正面から対峙する。何やらわくわくと嬉しそうな様子が、こちらまで伝わってくる。
そうだ。各地の伝承では、河童はいずれも無類の相撲好きなのだった。
この近露のゴウラも例外ではなく、数百年ぶりかと思われる封印が解けたこの瞬間、立ち合うことを求めるほどの渇きなのだろう。
「…わかりました。ゼロ神宮さん、ここは任せといたってください。田辺の合気道、ゴウラさんにきくか試せるとは思ってもみいへんだ」
玉置さんはそう言うと、半身になって両の手刀を下段に凝らすような独特の構えをとった。
ゴウラがにやりと笑ったように見え、相撲の仕切りそのままに腰を落とした。
奇しくも円形に張った注連縄の結界は土俵のようであり、彼らが戦うための舞台となっていた。
ゴウラがとん、と拳を下ろすと同時に地を蹴り、猛烈な勢いで玉置さん目掛けて突進した。
ドパッ、とものすごい音を立ててそれを受ける玉置さんは、重心を斜め前に傾けて飛ばされないようにしている。
が、ゴウラの剛力はずずずずっ、と玉置さんを土俵際へと押し込んでいく。
その瞬間、玉置さんはゴウラの手首をとりつつ体を横にさばき、身体を転回させながらその腕を頭上へと振り上げた。
踏みとどまろうとするゴウラの腕が逆に極まり、そのまま剣を振り下ろす動作で投げ飛ばした。
たまらず回転したゴウラは、土俵ぎりぎりのところに着地したがその腕は長く伸びてしまっており、あろうことかもう一方の腕は短くなっている。
河童は両腕が体内で繋がっているという伝承通りだ。
〈見事……!"四方投げ"だな?〉
ゴウラは嬉しそうに呟くと、にゅるん、と腕を元の長さに戻してもう一度仕切りの構えをとった。
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