第9章 中辺路の河童、ゴウラの伝説。天地の松と永遠の狛犬

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ものすごい勝負を目の当たりにし、放心したようになっていたわたしの横に、いつの間にか目を覚ました玉置さんが立っていた。 「……どえらいもん、見せてもろた」 玉置さんの視線の先で倒れている2人は、そのまま荒い息をついて動けずにいるようだ。 が、十代目がようやく口を開いた。 〈――はあっ、はあっ……。さすがは……近露のゴウラさま…。見事にやられ……ちゃいましたよ……。ごめん、当代。……あと、お願い……〉 ふうっ、と十代目の気配が消え、本来の人格が戻ったユラさんが苦痛に顔を歪めた。 あれだけの闘いの末に河原に叩きつけられたのだから、その痛みははかりしれないだろう。 「ゴウラさま、まいりましてございます……。御指南、衷心よりの謝意を……」 〈いや、待て〉 負けを認めたユラさんの言葉を、ゴウラは息を整えつつ遮った。 〈"我が願いに応えるならば"との条件での約だ。それは望外の形で果たされた。故に知る限りを答えよう。何なりと申すがいい〉 そうだ。ゴウラは勝負に勝てば、という条件を出したわけではなかった。やはり約束というものに厳格な面があるのだ。 「感謝します。ゴウラさま。では……、あやかしはなぜ人を襲うのでしょうや?」 互いに倒れた姿のまま、ユラさんがゴウラに尋ねている。それも、いきなりかなり根源的な問題をだ。 ふむ、とゴウラはしばし考え、やがて口を開いた。 〈そこに人がおるからだ〉 「それは……狩りのようなものですか?」 〈そういうあやかしもおる。が、霊力を宿さぬ獣どもとて同じではないか。山で出くわした熊が襲ってくる。人が食われることも、その逆もある。それと同じことだ〉 「では、あやかし達も人を恐れていると……?」 〈無論。そなたら人間ほどおそろしい生き物はおるまいよ。我とてそうだ。そのつるつるとした黄色い肌、頭にだけ伸びる毛、小刀で裂いたような目と口。すべてが恐ろしくてならんよ〉 語りながらもゴウラは調息し、ほどなく当初のような重々しい声を取り戻した。 〈それにな。そなたら人間は食う量をはるかに超えて魚を捕る。いずれ食うために牛や豚を囲って育てる。あまつさえ、飽きもせず同族同士で殺し合う。それは何故なのだ。我から逆に問いたい。何故だ、由良之丞…いや、女の人間〉 ゴウラからの問い返しに、ユラさんは大きく目を見開いた。 が、それはわたしも同じだ。隣の玉置さんも同様に、じっと耳を傾けている。 「……わかりません」 絞りだすような声で、ユラさんがようやくそれだけを答えた。 でもゴウラは目を細め、あたかも満足そうに笑みを浮かべたかのように見える。 〈そうであろうな。我とて同じよ。そこには善も悪もないのだろう。それが(さが)(ごう)ならば、言うても詮の無いこと。弱い生き物は滅び、強いものが残る。そしてそれは延々立場を変えて繰り返す。この天地が悠久である間はな〉 わたしたちは、ゴウラの話に聞き入っていた。 ユラさんがあやかし達と対話したいと言ったとき、正直なところ不可能ではないかと思っていた。 が、その思い込みは思い上がり以外の何ものでもなかった。 生物として、命の在り方として、目の前のゴウラはずっとずっと真理を究めた大先達ではないか。 〈されど、な。こうして互いにスマイの技を尽くして遊ぶという道もある。不可思議。まこと、不可思議と言わざるを得ぬ。これだから、この世は面白い。下宮の狛犬が腐る頃、また相まみえようぞ――〉 ゴウラはそう言うと静かに目を閉じ、河原の石に溶けるようにその姿を消していった。 (あわい)であった周囲はいつの間にか元の空間へと戻り、近露のゴウラは再度封印された。 後には仰向けに手足を投げ出したままのユラさんが、空を見上げて両の目からぽろぽろと涙を零していた。
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