第10章 臨海学校と真白良媛の悲恋。蘇る西牟婁の牛鬼たち

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飛鳥の昔、この海辺に"真白良媛(ましららひめ)"という娘が暮らしていた。 その名の通り、貝殻のように色の白い、美しい少女だった。 ある日、白良が海辺で波の音に耳を澄ませていると、見目麗しい一人の若者が通りがかった。 若い二人は、ひと目で深い恋に落ちた。 しかし若者は、ほどなく都へと帰らねばならない。 別れ際、若者は白良に一対の貝殻の片割れをそっと 手渡した。 ――はなれている間、この貝をお互いと思おう。また会えたならその時は、再びこの貝を一つに――。 だが若者はついぞ白良の元へと戻ることはなかった。 彼は孝徳天皇の御子、有間皇子(ありまのみこ)だったのだ。 政争に巻き込まれ、皇子は家臣の裏切りで若い命を散らしたのだった。 白良はずっと、ずっと若者の帰りを待ち続けた。 いつしか時が過ぎ、やがて砂浜に美しい一対の貝が流れついた。 生まれ変わった有間と白良が、そうして寄り添っていつまでも潮騒に耳を澄ませているのだとも――。 白浜の海辺で岩代先生の話を聞きながら、わたしは一人ぼろぼろと泣いてしまった。 「せんせえ、だいじょうぶ?」 「ハンカチつこてえ」 歴史クラブの女生徒たちが心配して気遣ってくれる。 みんなほんとにいい子たちだ…と思うとまた緩みきった涙腺にこみ上げてくるものがある。 この真白良媛の伝説にちなむのは、"ホンカクジヒガイ"という貝だ。 上からみると木の葉のような形をした白く美しい貝で、これが寄進された"本覚寺"という寺院の名前がついている。 本覚寺には昔から浜に打ち上げられた珍しい貝殻がもたらされ、「貝寺」とも呼ばれてそれらを展示する資料館を設けている。 この後実際にその貝を見たわたしは再び涙が止まらなくなって恥ずかしい思いをしたのだけど、どうやらこの伝承は琴線にストライクだったみたいだ。 その近くには白良浜という綺麗な砂浜があって、名前の通り本当に真っ白に見えた。 たしかにそれ以外も"白浜"というくらいなので、やはり風光明媚なことで知られたのだろう。 ちなみに飛鳥時代にこの地を訪れた有間皇子は、病と偽って政争からいったん逃れ、そしてこの西牟婁の温泉の素晴らしさを都人に語ったことで多くの人に知られるようになったという。 そういえばユラさんの妹さんも、白良(シララ)さんといったっけ。 紀伊には"由良(ユラ)"という町もあるし、姉妹の名はそこからとられたのかな、などとぼんやり考える。 ともあれ歴史クラブの臨海学校で生徒たちを引率するお手伝いに来たはずのわたしが、のっけから全力で南紀の歴史を満喫してしまっているのだった。
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