第10章 臨海学校と真白良媛の悲恋。蘇る西牟婁の牛鬼たち

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「ユラさん!なんで!?」 (しーっ。あの子らに見つかったらあかんのやろ) (おっ、ほぶっ……、な、にゃ、にゃんでここに?) (もちろん再地鎮のために来たんもあるけど、岩代先生に頼まれて。毎年だいたい何組かカップルできてこの浜辺でデートするさかい、こっそり見守ったってほしいって。せやけどあかり先生も見回りなんて、なかなか先生らしいやん) (え。あは…えへへ) 小声ですっとぼけたことを言いつつ、わたしはすっかり安堵していた。 なんだあ、大人たちしっかりしてるじゃない。 安心したところで、まったく思いもしない場所でユラさんに会えたことが嬉しくなっていそいそと屋台の椅子に腰掛ける。 明かりの下に移ったユラさんは、ネクタイにウエストコートというバーテンダーの正装。 夜の海辺でbar暦の出張屋台だなんて、なんて素敵なんだろう! 「あ。でも飲めないんだった……」 急に現実に戻って、ちょっと悲しくなってしまった。 そうだ、わたし教員。いまは引率の身。 「ノンアルコールのカクテルもあるんよ」 涼やかな声で、ユラさんが事もなげに言う。 「えっ、うそ!そんなのあるんですか?」 「もちろん。ミルクセーキやレモネードもその一種といわれてるさかい。お酒だけがカクテルと違うんよ」 例えばこんなん。 そう言ってユラさんはシェーカーに赤いシロップとジンジャーエール、そして氷を入れてしゃくしゃくしゃくと目の前でシェークしてくれた。 これほんとにかっこいい。 大振りで縦長のタンブラーに注がれたのは、たっぷりのクラッシュドアイスが涼しげなピンク色のカクテル。 「どうぞ。"シャーリー・テンプル"です」 アメリカ映画史上もっとも有名ともいわれる名子役の名が付けられたこの飲み物は、かわいらしい色と冷たく爽やかな味わいが夏の夜にぴったりだった。 「この赤いのんはグレナデン・シロップ。昔はザクロと砂糖でつくったらしんやけど、今はカシスやニワトコの実で色付けしてるみたい。ほんまはシャンパングラスで出すことが多いんやけど、のど渇いてるやろから」 やばいやばい。すごくおいしい。 アルコールは入ってないけど、ほんとうにカクテルの雰囲気を満喫できる。 これなら浜辺の生徒たちに注意を払いつつ、楽しんじゃってもだいじょうぶそう。 と、ユラさんが反対方向の暗い浜辺に目を凝らしている。 つられてわたしもそちらを見やると、誰かがそこにうずくまっているようだ。 「あの子は……」 ユラさんが呟き、先生ちょっと待っててな、と言い残してそっちへすたすた向かっていってしまった。 ほどなく戻ってきた彼女は、傍らに誰かをいざなってきていた。 それは若い女性のようで、俯き加減の表情はよく見えないけれど、ランプ調の灯りの下でもそうとわかるほどに頬がこけていた。 「どうぞ。お掛けください」 ユラさんがやさしく椅子へと導き、備え付けの冷蔵庫から食材を取り出して素早くサンドイッチをこしらえた。 そしてカクテル、以前に日本酒でつくってくれたモスコ・ミュールのバリエ、キイ・ミュールを添えてその女性の前にことんと置いた。 「どうぞ……。"きこし召せ"」 ユラさんのその言葉を聞いて、わたしははっとした。 そうか。 この人……。 人間ではないんだ。
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