第三話 よそみはだめだよ①

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第三話 よそみはだめだよ①

 人間の思いの力というのはすごいもので、信じることで何もないところに何らかのものを生み出すことがある。  神仏などの信心も、元々はそういった側面を持っている。信じるものには加護がある、信じる者は救われる、といった言葉にもあるように。  そうやって人間は自らを守ってくれる存在を作り出すこともあれば、恐れや迷いから害ある恐ろしいものを生み出してしまうこともある。信じる心、いないはずのものをいると思い込む気持ちというのは、何かを生み出す力を持っているということだ。  その力によってわざわざ得体の知れないものを生み出す人間もいる。その一例が、タルパと呼ばれるものだ。  本来は、チベット密教における幻影を具現化する技術だったものが、人工未知霊体を作り出すものとして広まったものだ。  人工未知霊体とは、読んで字の如く人が作り出した霊体のことだ。つまり、無から霊体を作り出すというもの。  タルパの話が広まり始めた最初の頃は、上手に作ると守護してくれたり遠方にいる誰かにメッセージを届けたりできるものだとされていた。アニメや漫画で描かれる陰陽師の式神に近いイメージかもしれない。  それがいつしか“理想の友達”を作る方法だったり、“理想の恋人”を作る方法だったりと形を変えて流布するようになった。“二次元の嫁を画面から出す方法”などとして話題にされることもあった。  それだけ、ここにはいない、架空の存在を自分のそばに呼び寄せたいという人間が一定数いるということだ。  インターネットの海を漂っていると、実際にタルパを作り出して一緒に暮らしているなどという人の話を見かける。にわかには信じがたいが、その何割かは本当に何かと暮らしているのだろう。  それが目論見通り無から理想の存在を生み出したものなのか、近づきてきた何かに理想を押しつけて縛ったものなのか、わからずにいる者もいるに違いないが。  夜宮高校に通う生徒の中にも、理想の存在を作ろうとして得体の知れないものを縛ってしまった者がいた。  その女子生徒は、孤独だった。学校という場所に通うようになってからずっとだったが、孤独感が増したのは高校に入ってからだった。高校生活というものに夢を抱いていただけに、その孤独感は女子生徒を苛んだ。  女子生徒は、非常に気位が高かった。そのため、小中学生時代は親しいものがいなくても、何とかやっていけたのだ。周りの者を馬鹿だ低能だと見下すことで、周りの者のレベルが釣り合わないと思うことで、親しい者がいない寂しさを紛らすことができた。  その反動で、高校生活には夢を、高い理想を抱いてしまっていた。  このあたり一帯で屈指の進学校である夜宮高校に入学さえすれば、そこにいるのは自分と同程度の人間たちだけのはずだ。だから、きっと話も考えも合って、仲良くなれるはずだと信じていた。  だが、それはとんだ思い違いだとすぐに気付かされる。  小中学生の間、女子生徒は友達の作り方なんて学んでこなかったのだ。そんな者が高校入学と同時に、都合よく友達ができるわけがない。周囲を見下し勉強しかしてこなかったその女子生徒とは違い、多くの者がきちんと友達の作り方を学んできたのだ。そこが噛み合わなさの一端だろう。  それに何より、その女子生徒は“自分にだけ”友人を選ぶ権利があるなどと思っていたのだ。だから、自分が選べば相手は自動的に友人になると、そう信じていた。だが、実際にはその選ぶ権利というものは、相手にも当然あるのだ。そして、その女子生徒は誰にも選ばれなかった。  最初のうちは、「高校には受験のための勉強をしに来ているんだ。友人を作るためじゃない」と言い聞かせることで乗り切ることができた。それに高校は小中学校ほど、人とつるまなくても息苦しい場所ではなかった。  それでも、ふと気を抜くと寂しくてたまらなくなる。どこかで間違わなければ、理想の高校生活を送れたのではないかと考えてしまうと、苦しくてどうしようもなくなった。  だから、女子生徒は友人を作ることにした。悩んでインターネットの海を漂っているうちに、タルパの作り方にたどり着いたから。  それを見つけたとき、まるで何かの天啓を受けた気分だった。理想の存在を作るというのは、そのときの女子生徒の望みに非常ひマッチするものだったのだ。  その存在がどのような性格でどのような考え方をするなどの設定を作っているうちに、女子生徒はあることに気がついてしまった。  友人よりも、恋人のほうがいいのではないかと。自分のことを理解し、包み込んでくれる恋人がいれば、友人なんていらないし、この孤独感から解放されるのではないかと。  そうして、女子生徒は手順通り理想の恋人を作り上げた。  そこにいるものだと想定して毎日話しかけ、恋人なら何と答えるだろうかと頭の中に思い浮かべ、自分の中のその存在感を日々増していった。  そんなことを数ヶ月続けるうち、ある日本当に返事が返ってくるようになった。半年もすると、うっすらと姿が見えるようになってきた。  理想の恋人は、爽やかな顔で、甘い声で、その女子生徒のことを受け止めてくれた。包み込んで、いつでも優しくしてくれた。だから、学校で孤独でも生きていけたのだ。  この人が一緒なら、これからどこへ行っても生きていける――女子生徒は、そう信じていた。  孤独であり続ければ、それも可能だったのだろうが。  生きていれば、いろいろなことがある。様々な人と出会う。それによって、不意に孤独ではなくなることもある。  それは生きている人間にとってはいいことだが、タルパにとっては、生み出され縛られた存在にとっては、どうなのだろうか。  ***  新しい高校に転入して一ヶ月。琴子は大した苦労もなくその生活に馴染み、親しい友人もでき、それなりに楽しく過ごしていた。  元々人と打ち解けるのが得意で、いろんなものに興味を持つ性格のため、誰と一緒にいても何をしてもさして苦にならない質なのが功を奏している。  だが、ひとつだけ今の高校で不満なことがあった。  それは、芸術の授業だ。一年のときに音楽、書道、美術の中から好きなものを選んでその授業を受けるのだが、二年で転入してきた琴子は自動的に人数が少ない授業に割り振られてしまったのだ。  琴子がやりたかったのは音楽で、親しくなった友達も大抵音楽の授業だ。それなのに、琴子が割り振られたのは美術だった。  週に一回あるその美術の授業が、琴子は今のところ苦痛で堪らない。  琴子には、美術に対する興味がなかった。おまけに絵心もなかった。親しい人に誘われれば美術館に行くこともやぶさかではないし、それなりに楽しめるだろう。だが、興味があるかと聞かれれば否で、自分で絵を描くのはまったく楽しくないし得意ではなかった。  琴子が絵を描けないのは筋金入りで、幼いときから何を描いても誰かに理解されることはなかった。幼稚園児のときに母を描けば「上手なワンちゃんだね」と言われ、小学生のときに遠足で行った風光明媚な場所の絵を描けば「楽しかった気持ちを抽象的に表現したのかな」と言われ、中学生のときは美術の授業で友達とお互いの顔をスケッチしたら「あんた、あたしのこと嫌いなの?」と泣かれたという嫌な経験がある。  そういったことがあって、琴子は絵を描くのが嫌いというより苦手だ。人の顔なんて、頼まれても二度と描きたくないと思っていた。  それなのに、よりによって美術の授業でまた描くことになってしまった。  お互いの顔を描くというテーマだから、二人一組に分かれる必要がある。教師にそのことを告げられて、琴子は美術室の中を見回した。一年からやっている授業だ。当然すでにグループに分かれていて、入る余地はなかなかなさそうに見えた。  だが、教室の隅でひとりぽつんと座る女子を見つけてほっとした。 「スケッチの相手、いいかな? 同じクラスの成瀬さんだよね。私、男虎琴子」 「……別にいいけど。あぶれた人と組むつもりだったし」 「よかった。ありがと」  琴子が声をかけたのは、癖のない黒髪が特徴のひとりの女子だ。その女子、成瀬(なるせ)美和(みわ)は、琴子に声をかけられても素っ気ない態度をとった。  嫌われたのだろうかと考えるが、嫌われるほどの接点はない。そうはいっても好かれてもいないのはわかりきっているから、琴子はどうしたものかと考えた。 「私、めちゃくちゃ絵が下手なんだよね。今まで一度も、描いたものが何なのかわかってもらえたことがないんだ。だから、変になっちゃったらごめんね」  何か話の取っ掛かりをと考えて、琴子は口を開いた。悲しいが、絵が下手なのは事実だ。そしてこういうやや自虐めいた話というのは、まだそこまで親しくない人間関係においていい会話の糸口になることが多い。 「別にいいよ。目がひとつとか鼻が二つとか、ふざけたことしなければ。一生懸命やってもだめなことって、誰でもあるでしょ。ちゃんとやるなら、私は責めたり笑ったりしないよ」  相変わらず素っ気ないが、成瀬は一瞬琴子のことを見て、それからどうでもよさそうに言った。実際にどうでもよかったのだろう。だが、その言葉は琴子の胸にいつの間にか埃のように降り積もっていた嫌な気持ちを、ふっと吹き飛ばしてしまった。 「そっか……そうだよね。一生懸命描くね」 「はいはい。さっさと手を動かして」  勢い込むように言う琴子に、成瀬は若干馬鹿にするように言った。素っ気ないし、極めて感じが悪い。それでも琴子は気にならなかった。  これまで琴子にとって絵を描くことは、他人に理解されないという苦しみと、馬鹿にされて笑われるという屈辱を伴う行為だった。それが嫌だから、先に自虐ネタにして笑いを取って、自分の身を守ることを繰り返してきた。  だが、成瀬は琴子の自虐に乗らなかった。一生懸命描くのなら出来栄えがどうであれ責めることも笑うこともしないと言ってくれた。  そのときから、琴子は素っ気ない成瀬のことが好きになって、週に一度の美術の授業もそこまで嫌ではなくなったのだった。 ***  駿にとって、学校という場所はひどく居心地が悪い場所だ。  それは幽霊や得体の知れないものがうようよといるというのもあるが、様々な種類の人間が集まる分、“憑いている”人間にもよく遭遇してしまうからだ。  もろに死霊や生霊を肩に乗せている者もいれば、何やら形を成していないが禍々しい念のようなものをまとわせている者もいる。  そういった者たちと同じ空間にいるのもつらいし、近づかれれば気分が悪くなる。だから、感じが悪いと思われようと不良と勘違いされようとも、なるべく人と接点を持たずに過ごすのが理想的だ。  だが、駿のほうからいくら避けようとも、積極的に関わってこようとする者もいる。三郎丸という教師もそのひとりだ。  誰とも関わりたがらず、たまに教室を抜け出してしまうような問題児を手懐けているということで、源は他の教師たちからの評価がいい。本人ののほほんとした穏やかな気質もあるだろうが、駿に懐かれているということで謎の信頼を勝ち得ている。  三郎丸はそれを見て、自分も駿を手懐けたいと思っているのだろう。ことあるごとに絡んでこようとする。駿の選択科目が地理で、三郎丸の担当が日本史だから関わり合いになる必要などないのに、露骨に近づいてきてくるのだ。  しかし、三郎丸は駿の嫌いなタイプだ。ただ単に人間として気に食わないくらいなら、駿も何とか目をつぶっただろう。だが、三郎丸はいつもよくないものを肩につけている。だから近づいてきてほしくないのだ。  三郎丸の肩についているのは、女性の手だ。肌色のものと、もうすっかり人間の肌の色ではなくなったものだ。女性のものだと判断したのは、その手の形と、鮮やかに彩られた爪を見たからだ。  テレビか何かで見た情報が正しければ、まだ皮膚の色が肌色のものは死んで間もないか、まだ生きているものの霊らしい。つまりは、生霊ということだ。  三郎丸は死んでもなお離れがたいと思っているような女性の霊と、魂の一部を飛ばしてしまうほど思いつめた女性の生霊を肩につけているということになる。  軽薄な雰囲気からして、きっと女遊びがひどいに違いない。それこそ、死霊と生霊のダブルで憑かれるような生き様なのだ。女子に対する軽々しい接し方からもわかる。  だから、駿は心の中で三郎丸のことをひそかにヤリチン丸と呼んでいる。肩の上の手は増えたり減ったりするから、ヤリチン丸はとことんとんでもない男ということだ。  この三郎丸はひどい例だが、駿の見立てでは人間は何かしらに憑かれているか嫌な気をまとっている。いつもは健全な人間でも、何かあれば何かしらに憑かれるのが現実だ。源や琴子のような背中に強い守護霊を背負っているような者は、かなりレアなのだ。  そんなわけだから校内を歩けば単独幽霊だけでなく、人に憑いた悪しき存在を見かけてしまう。そのため、何気ないふうを装って歩いているつもりでも、唐突にとんでもないものが目に入ってものすごく慌てさせられることもある。  この前も、ジュースを買いに行こうと自販機まで歩いているときにどえらいものが目に入ってしまって、ものすごく怖かった。 「こわたん先輩!」  いつもはなるべく下を向いて歩いているのだが、呼ばれて駿は顔を上げた。  そんな変な名前で呼んでくる存在なんて、琴子ひとりしかいない。だから、安心しきっていたというのもある。 「なっ……!」    琴子の隣には、友人と思しき女子がいた。そしてその女子は、何かわからないものを背負っていた。  その存在感からすれば、守護霊に近いものがある。だが、絶対に守護霊でないと言い切れるのは、それがまとうあまりの禍々しさだ。  それは灰色の靄(もや)のようなものをまき散らしながら、その女子の背後で揺れている。揺れるたび顔の部分が歪み、端正にも見える顔がまったく別のものに見えるようになる。  そして何よりそれが異様なのは、琴子のことが嫌いなのかたびたび牙をむくみたいな顔で悪態をつくような仕草をするのだ。そして穏やかな顔になって自分が憑いている女子生徒を見つめる。  そんなものを見るのは初めてで、駿は琴子からの呼びかけにろくに応えることができなかった。曲がりなりにも同じ部に所属しているのだから、手を振るなり返事をするなりしてやるべきだったのだろう。いくら人と接するのが苦手といっても、そのくらいのことはできるつもりだ。  だが、琴子の隣にいる女子の背後に気を取られるあまり、そんな最低限のことすらできなかった。 (何あれ? 友達? やばいの連れてた……でもコトラの金剛力士像、無反応じゃん。なら、無害? いやいやいや……)  頭の中でいろいろ考えたものの、結局答えが出なかった。だからせめて放課後琴子に会ったらあげようと、彼女の分まで飲み物を買うくらいしかできなかった。
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