拓人さんの「お仕事」についていく。

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拓人さんの「お仕事」についていく。

「よし、これでいいかな。ちょっと申し訳ないけれどね…」 お店のドアに「店休日のお知らせ」と「Close」の札を出した。  昨日から、フェイドラさんは個人的なお出かけで、数日間、留守にしている。出かけた先が、現世(ニンゲン世界)とは少々違う場所なので(私もあまり詳しくは聞いていない)、次にお店を開ける日がわからない。でも、このお店が不定休なのは常連さんだと知っている人が多いので、そのあたりは勘弁してもらおう。 「ありゃ、しばらくお休みなん?」 聞きなれた声がしたので振り向くと、大きなバッグを抱えた小柄な女性がいた。 「あ、あやのさん?」 「おはようさん、葉月ちゃん。なんや、フェイさん、留守なんか?」 「そうなんですよ。再開の日、わかったら、お知らせしますね」 「あちゃー。明日あたりにランチ、いただこう思うてたんやけどなぁ」 やんわりとした言葉遣いが、とても優しく感じる、彼女の名前は、氷室あやのさん。すぐ近所のアパートに暮らしていて、「リュフトヒェン」の常連さんでもある。 「ごめんなさい」 と、私が謝ると、あやのさんは慌てて、 「いやいや。そこはお店の都合だから、気にせんといて。それに、お店も近いから、私はいつでも、来ることができるやろ」 と言った。にぱっと笑った顔が、とても明るい。 「あやのさんは、こんな朝早くにどちらへ?」 「ああ、これからいつものデザイン会社へ顔を出して、そのあとにお客様のところへ行くんよ。今回はちょっと大きな仕事を頼まれて」 「へー!」 あやのさんのお仕事は、イラストレーター。単に絵を描くだけではなく、デザインや、お店のポップなども手掛けているみたいで、近所のお店には、彼女お手製のイラストやポップが飾られていることも知っている。  ちらっと聞いた話では、最近流行の、ライトノベル系のイラストや装丁の依頼も受けているんだとか。 「おっと、遅刻するわけにはいかん。葉月ちゃん、また。拓人さんにも、久しぶりに会いたいですって伝えてな」 「はい。気を付けて行ってらっしゃい」 大きなバッグの中は、きっと画材道具が入っているんだろう。それを軽々と抱えて、足取りも軽く、駅方面へと歩いて行く。ボーイッシュな感じのするあやのさんは、いつも元気で、笑顔が素敵だ。  私が、この界隈に暮らして数ヶ月。お店の事情もあって、顔見知りさんも少しずつ増えている。若干、人見知りのケがある私だけれど、でも、拓人さんやフェイドラさんのおかげで、お店の常連さんとも少しずつ話ができるようになっていた。それが、とても楽しいことでもある。 「……」 お店の仕事を手伝うようにもなったからだろうけれど……ここ最近、少し考えることがある。だけど、それをうまく言葉にできなくて、靄っているのも確かだ。  お店のドアをしっかり施錠して、それぞれの窓にあるカーテンを閉じると、お店の中は薄暗くなった。 「葉月さーん?」 住居部分に繋がる階段の奥から、拓人さんの声が聞こえてきた。 「はーい。今、行きます!」 パタパタと階段を上がって行くと、そこはもう2階の住居部分。ダイニングキッチンの入口にかけてあるトライバル柄のカーテンをくぐると、すっかり見慣れた部屋の光景。拓人さんが奥にあるソファの前で、出かける準備をしていた。 「誰かとしゃべっていたの?」 「あやのさんです。彼女も、今日は仕事先へ足を運ぶみたい」 「あら、あやのちゃん。この間、私も、そこの駅で会ったわ。スケッチブックを抱えていたから、何かを描きに行っていたのかしらねぇ」 もちろん、拓人さんもあやのさんのことはよく知っている。時々、あやのさんは、駅の片隅や近所の公園などで、スケッチしていることもあるのだ。  拓人さんは、仕事用の譜面が入ったファイルをカバンに入れたり、忘れ物がないかをチェックしている。 今日は、お仕事で、都内某所のスタジオへ行って、夕方にはあるライブハウスでのお仕事仲間のライブにゲスト出演するとか。オモテのお仕事、忙しいようだ。 「葉月さんも有休、とっているのよね?」 「あ、はい」 私も、有休消化の意味もあって、来週までお休みをいただいている。まぁ、家にいても、特に出かけるとか予定はたてていないから、どうしようかなと考えていたのだけれど。  すると、拓人さんは、メガネのレンズを磨きながら、こう言った。 「よかったら、今日は一日、私につきあってくれないかしら?」 「はい?」 だって、これから、お仕事ですよね?スタジオに入るんですよね?いいんですか? 「たまにはいいでしょ。それに、あなたのこと、私の仕事仲間にも紹介したいから。ね、一緒に出掛けましょう」 ニコニコ笑顔の拓人さん。ちょっとびっくりしたけれど、でも、せっかくのお誘いだ。それに、確かに、拓人さんの「うたい手」としてのお仕事をみてみたいと思っていたのも事実だし。 「それじゃ、急いで着替えてきます!」 せめて、軽くメイクして行かないと! 「慌てなくていいわよー」 のんびりとした彼の声を背にして、私は自室へと慌てて駆け上がった。  拓人さんの今日の服装は、男性用チャイナ。  柄は少し控えめで、カラーはベージュ系でまとめられている。傍らには、今夜のライブ出演のための衣装やメイク道具が入ったスーツケース。で、いつもの中折れ帽子をかぶっている。うん、やっぱり素敵だ。似合うよなぁ。  ……ただし、目立つけれど。  ふたりで家から最寄り駅まで歩いて、電車に乗って、スタジオのある世田谷へ向かう。天気も良くて、風も穏やかだし、気持ちいい。ああ、季節は確実に変わっているんだなって思った。  拓人さんと一緒に暮らして、まだ1年になっていない。まだまだ、謎だらけの人だけれど……でも、私、拓人さんと一緒にいると、かなりリラックスしている自分がいることに少しずつ、気づいている。いつもさりげなくそばにいてくれる……不思議な雰囲気を纏った人。 「着いたわよ、葉月さん」 ぼんやりと考えながら歩いていたので、拓人さんの声にハッと顔をあげた。  ガラスのドアを押し開けて、中へ入ると、少し薄暗い廊下が見えた。と、小さく小さくだが、なにやら音楽が聞こえてくる。それはひとつやふたつではない。あちこちから、籠ったような音が聞こえてくるのだ。 「へ、ぇ……」 音楽スタジオって初めて来た。防音がしっかり施されていることくらいは、私にもわかる。  拓人さんは慣れた様子ですたすたと廊下を歩いて行くので、私も慌ててそのうしろについた。 「あ、藤宮さん、おはよう」 開いたドアから顔を出している女性が、私たちに気づいたみたい。 「おはようございます、三戸部さん」 丸いメガネをかけて、ボブカットの髪を金色の染めた、いかにも音楽業界の人という印象を受ける女性だ。 「あら、そちらのお嬢さんは…もしかして」 面白そうに私を見ている視線に気づいて、思わず拓人さんの後ろに隠れてしまった。本当に反射的に、だ。 「前にお話ししていたカノジョ?」 「そうよ。葉月さん。今日は一日、私にお付き合いしてもらうことにしたの」 ニコッと笑いつつ、私の様子を見ながら、拓人さんは目の前にいる女性に私を紹介してくれた。 「こちらは三戸部さん。このスタジオの専属スタッフで、私がいつもお世話になっているの」 「こ、こんにちは…水本葉月です……」 恐る恐る、視線をあげる。黒のブーツに足にフィットした黒いレギンスが目に入った。 「初めまして。このスタジオで音響の仕事やっています、三戸部です」 ようやく、顔を上げると、そこにいたのは、金髪、切れ長の目に、整った鼻筋。メイクもビシッと決まっている、とても美人さんだ。声は女性としてはハスキーなのかな、ちょっと低く聞こえる。そして、とっても背が高い。ブーツのヒールを除いても、とても背が高い人だろう。なんか「姉御」って呼びたくなってしまうくらい、私から見てもカッコいい女性。 「あら?怖がられちゃってるかしら?」 「え、あの……その…」 やっぱり、まだ、仕事以外の時に、初めての人に会うの、ちょっと怖い、かな。  ぱふっと、私のアタマに、拓人さんの大きな手が乗せられる。 「大丈夫よ。三戸部さんは、私とは10年以上の付き合いのある人」 「はい…」 私と拓人さんのやりとりを見ていた三戸部さんは、 「この外見だからね、私も。ごめんね、葉月さん、びっくりしちゃうよね」 「あ、いえ!こちらこそ、すみません」 慌ててアタマを下げる。そっと、視線をあげると、ニコッと笑ってくれる。  それから、拓人さんと三戸部さんは仕事の話しをしながら、とあるスタジオのドアを開ける。部屋の中は、いろんな機材が所狭しと並べられていて、あちこちが光っていた。 「ふわぁ……」 テレビとかで見ていたけれど、実際に見ると、意外とこぢんまりしているんだね。  持っていたカバンの中から必要なモノを取り出しながら、拓人さんは三戸部さんのほかの、その場にいたスタッフのみなさんに私のことを紹介してくれる。みんな、すごく明るい笑顔で、気さくに挨拶をしてくださった。 「ふじみやちゃん、かわいい子、ゲットしたねぇ」 「そ、かわいいでしょ?葉月さんは、とっても素敵な子よ」 あ、あのね、拓人さん。それって…褒めすぎ。それに、私は拓人さんの同居人なんだけれどな。むしろ、お世話になっちゃっているから。 「あの、ですね…」 「葉月さん」 私がおどおどしているのを、三戸部さんはわかってくれてるいのだろう、私のそばに来て、こう言った。 「自分のことを卑下するのは、いいことではないよ。あの藤宮さんがあなたをここに連れて来たっていうのは、とっても珍しいこと。それだけ、あなたのことを大事にしているってことだよ」 そうか。考えてみたら、ここは彼にとっての「仕事場」だもんね。  私は身内でもなんでもない、ただの同居人。でも、最近は同居人という言葉が少し揺らいできているというか…うまく言葉にはできないけれど、拓人さんがいてくれないと…という、不思議な想いもあることも確かだ。  私が考えている間に、拓人さんたちは打ち合わせに入ったみたい。手書きの譜面を片手に、室内に流れている音楽を聴いている。視線は譜面に書かれているものを追っているというのは、見ていてもわかる。私は、三戸部さんがすすめてくれた椅子に座って、その光景を見ていた。  拓人さんはヘッドホンで音楽を聴きながら、譜面に何やら書き込んでいる。時々、音を確認するように、声に出してうたってみたり、抑揚をつけたりつけなかったり。 「今日は、2と4ね」 「わかりました」 トントンと譜面を揃えて、分厚い扉を開けて、ブースに入っていく。  よく、テレビなんかで見るよね、独特のマイクの前でうたっている人って。その場面が、ガラスの向こうにまさに、再現されているんだよ。ああ、そうか、拓人さんってこういうのが仕事なんだもんね。  三戸部さんとほかのスタッフさんも真剣な顔で調整卓の前に座り、機械を操作している。 「それじゃ、拓人さん、通していくよ~」 という声に、ガラスの向こうでOKサインを手で示すと、スッと姿勢を伸ばして、ふうっと息を吐く。見ているだけで、拓人さんが「うたい手モード」に入っていくのがわかる。面白いくらいにわかるんだよね。  今、レコーディングしているものは、とあるうたい手さんの新曲で、まだ発表する前のもの。そのうたい手さんのためのメロディライン紹介、もしくはレコード会社へのプレゼンなどで使う「仮歌(かりうた)」と呼ばれるものだ。  だから、変に抑揚はつけないし、気持ちも入れないようにする…っていうのが、コツらしい。言葉にするのは難しいけれど、要するに、気持ちをつけてうたってしまうと、うたい手さんへのイメージのためにならなくなっちゃう…というもの。話しを聞いているだけで、とても難しいなぁと思ってしまう。  それでも、拓人さんのうたう声って、とても心地よいのよね。  仮歌を2曲、レコーディング完了。  それぞれが別のうたい手さんへのプレゼンだそうだ。 「おつかれさまでしたー」 気づけば、あっという間に3時間ほど、経過していた。その間に2曲かぁ。やっぱり、譜面が読めるってすごいことで、それをきちんとカタチにして表現できる(うたうことができる)というのは、さすがプロフェッショナル。  三戸部さんやスタッフさんたちと挨拶を交わしてから、私たちはスタジオを出た。  太陽の光が眩しい。  録音スタジオは、住宅街のはずれにあるのだけれど、 「え?こんなところにあるの?」 って思ってしまう人も多いだろうな。それくらい、周囲になじんでいる建物だ。 「あら、こんな時間。葉月さん、お昼、軽く何か食べましょうか」 スマホで時間を確認しながら、拓人さんが言った。  駅前の小さな喫茶店。拓人さんのお気に入りらしく、カウンターの向こうにいた初老の男性が、にこやかに迎えてくれた。 「トコさん、こんにちは。ランチセットふたつ、お願いしますね。ドリンクは…私はホットコーヒーを。葉月さんは?」 「あ、えーっと…」 目の前のメニューを見ると、あ、ローズヒップティーがある。大好きなのよね、これ。甘酸っぱい香りが好き。口当たりもさっぱりしているから嬉しいドリンクだ。 「ローズヒップティーをホットでお願いします」 品物が運ばれてくる間も、拓人さんはスマホとタブレットを駆使して、なにやらやっている。お仕事の連絡とか、今夜のゲスト出演予定のライブのことかな?  ランチセットは、ワンプレート。たまごをたっぷり使ったオムライスに野菜サラダだ。 「拓人さん、冷めないうちに食べましょう」 「待ってね。これだけ送信しちゃうから」 その横顔は、言霊師ではなくて、「うたい手・藤宮タクト」だ。  ホントに不思議な人だなって、改めて思う。  浮世離れしているっていうか…見た目が見た目だからね、そう思われることに、彼自身も慣れているみたい。でも、私は、拓人さんと一緒にいることで、とても気持ちがラクになるということが増えた気がする。  ずっと、ひとりで暮らしてきた私には、他人と一緒にいることは、きついことになるんじゃないかと思っていた。でも、いざ、拓人さんと暮らしてみれば、確かに過保護なところはあるとしても(実際、過保護だと思う)、そばにいてくれるのが、ごく自然なことで、むしろ、今は一緒にいてくれるのが「ふつう」だ。  ふと、目の前のオムライスを見て、気づいた。鮮やかな黄色のオムライスにブラウンソースだ。 「あ、これ……ケチャップだけじゃない…?」 「そう。ここのオムライスは、デミグラスソースなのよ。きのこたっぷりの」 おお、確かに言われてみれば、マッシュルームがご~ろごろ。これは、おいしいはずだ。ひとくち、食べてみて、そのまろやかさとおいしさが口の中、いっぱいに広がる。 「ん~、おいしい!」 食べることが大好きだから、今はとにかく、食べる!今までの考えは一旦、置いておく!(おいおい)。                    (続く)
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