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私たちの日常風景。
有休休暇を消化して、いつものように仕事へ行って、いつものように仕事を片付ける。
淡々とした日々が続くのは、悪いことではないのだけれど、でも、どこか、物足りなさを感じていたりする自分がいるから、怖い。
「ふ~……終わった。よし、午前中に片づける仕事、終わり。由里~?」
向かいのデスクにいた中崎由里に声をかけると、モニターとにらめっこしていた彼女が手を上げて、OKサインを送ってくる。彼女も仕事のキリがいいところみたい。
時計をみれば、12時40分、お昼。私たちの会社は、ランチタイムは各々の裁量に任せてくれるので、13時くらいになることもある。
「お昼、行こう」
「うん」
由里と一緒にビルを出て、どこへ行こうかと話しをして、向かった先は居酒屋さん。
最近は、居酒屋さんのランチ営業っていうところも増えている。これが非常にありがたく、お値段もリーズナブルなものが多いことを知っている人も多いと思う。お店側はどう思っているのかっていうところまではわからないけれどね。
「あ、から揚げ定食、おいしそー」
「このお店、確か、仕事終わりに、一度来てるよね?」
「そうだっけ?」
日替わり定食は、サバの味噌煮。ほかにも、定番のから揚げもある。そこに、白ご飯とお味噌汁、箸休めのお漬物がついていて、ご飯とお味噌汁はおかわり自由。特に、たくさん食べる人には、とてもうれしいサービスだと思う。
由里はから揚げ、私はサバの味噌煮をオーダーして、それぞれの席についた。
「あのね、葉月には最初に話しをしようって決めていたんだけれどさ」
「え?」
「あのね……和史さんと結婚式、挙げることにしたの」
ちょっとだけ頬を赤く染めて、由里は言った。
おお、ついに結婚式、挙げることになったんだ!とうとう、この時が来たんだね!
「おめでとう、由里!」
「ありがとう」
由里の実家は、代々続く老舗和菓子店なんだけれど、彼女自身はお嬢様らしからぬ部分を持っている「姉御肌」で、今は実家そばのマンションでひとり暮らしをしている。彼女のお相手は、観光業や不動産業などを全国展開している大企業の次期社長、佐伯和史さんだ。
それだけの家柄なので、結婚式も大々的なものになるみたい。でも、彼女も和史さんも、あまり大げさにしたくないらしいんだけれど、そうはいかないというのが現実らしい。
「まー、仕方ないわよね、由里も和史さんも、そういう家柄だもん」
「まぁね~。母なんて、もう張り切っちゃって…」
などと話しているうちに、運ばれてきた定食をそれぞれ食べつつ、話しの続き。
「でも、そうなると仕事はどうなるの?やっぱり、こっちの仕事は退職だよね」
「そういうことになるのよね。次期社長の嫁として、和史さんの仕事のサポート、することになるわ」
うん、由里が専業主婦に徹するなんて、想像できない。かといって、楚々と和史さんについていくというのもなんか違う気がする。
「こっちの仕事は、近々…退職願を出すことになると思う」
「そっか…」
思わず言葉が小さくなってしまう。なんか…さみしいな、なんて。
彼女とは同期入社だし、ウマも合う。仕事でも、プライベートでも、何かと一緒に行動することも多かった。それが、この先はできなくなっていくのかなぁなどと思ったのだ。だけど、由里にとっては大事な時。そして、大好きな人と一緒になることは、やはり喜んで送ってあげたいと思うんだよね。
「葉月」
「ん?」
真剣な顔で私を見る由里に、ちょっと慌てる。口の中にいれていたサバの味噌煮の切れ端を飲み込んでから、私も由里を見た。
「私が会社を辞めて、和史さんに嫁いでも、葉月は親友だってことには変わりはないよ。それは、和史さんもよく理解してくれている。ただ、ちょっとだけ、今までと違うのは、私が今の会社にいないことだけだからさ」
「うん」
「結婚式、来てよね」
「もちろん」
「あ、拓人さんも一緒に来て欲しいんだ、実は」
「はい?」
「だって、私たちの危機の一端を助けてくれたのは、葉月と拓人さんだから」
そう。少し前のことだけれど、和史さんの会社の件で、拓人さんが「言霊師」としての仕事をしたことがある。由里には詳細は話してはいないけれど、なんとなく、関わっていたことは気づいてくれているみたいだ。決して深く聞いてこないところが、由里らしく、そしてとてもありがたい。
「和史さんが特に希望していたの。招待状、ふたりの分、出すからね!」
「うん。拓人さんにも話してみるね。ありがとう」
もしかしたら、由里以上に、和史さんは「なにかを」知っているのかもしれない。
私もあのあと、拓人さんから教えてもらった……というか、最近、教えてもらったのだけれど、あの一件は谷山さんが拓人さんに話しを持ってきたという。実際の依頼者の名前は、はっきりとは教えてくれなかったけれど、もしかしたら……
由里は、自分の行く先をしっかり、見据えている。
彼女だったら、和史さんの良き理解者、良き伴侶として、いい奥さんになるだろう。
もともとが、アタマもいいし、育ちの良い由里だ。きっと大丈夫。
私はどうなんだろう。
この先のことを、きちんと考えているのだろうか?
まだ、どこかで躊躇しているのではないだろうか。いや、躊躇しているんだろう。
由里が自分自身の行く先を見据えていることで、焦りを感じている。
私は、このままでいいのだろうか?
夕方、仕事を終えて帰宅する。
「ただいま~」
「おかえりなさい、葉月さん」
リビングから拓人さんの声がした。今日は、一日、自宅作業だって言っていたなぁ。
リビングルームのテーブルの上に、譜面やらなにやらがあって、傍らにはCDプレーヤー、ヘッドホンなどがあって、今まで仕事をしていたんだなっていうのがよくわかる。テーブルの前に座っていた拓人さんは、譜面から顔をあげてくれる。
「おかえりなさい。お仕事お疲れ様」
「うん。拓人さんも、作業していたの?」
「お昼過ぎからずっと。さすがに今日はもう、これくらいにしておきたいわ。ふ~……」
手にしていた鉛筆を置いて、両腕を天井へ伸ばした。
手書きの譜面。拓人さんは、基本的に、うたう曲は譜面を自分で聴いて、書き起こす。音楽を聴きながら、視線で譜面を追いつつ、手をせわしなく上下に動かしていることもあって、これは音をとるための、彼のクセらしい。うたいながら、音階をとっているとでもいうのだろうか。
手を洗って、顔を洗って、自室に荷物を置いてから私服に着替えて、リビングに戻ると、フェイドラさんもいた。すでにキッチンの前でなにやら準備している。
「あ、フェイドラさん、手伝います」
「いえいえ、今日は、明日の仕込みで使った材料をこちらにお持ちしましたので、お気になさらず」
「明日の仕込み?」
「ええ。明日のランチタイムは、生姜焼きを出そうかと思いましてね。ちょっと試作していたのですよ」
「わー、生姜焼き!」
「私のリクエストでもあるのよ」
と、譜面を片付け終えた拓人さんが言った。
お昼にサバの味噌煮を食べたばかりなのに、生姜焼きと聞いて、またはしゃいでる私。
豚バラ肉と、生姜、タマネギ、ニンジン、インゲンがメイン材料。
ニンジンは短冊に、インゲンも食べやすい大きさにカット。豚バラ肉は、フェイドラさん特製の、生姜とタマネギをたっぷりすりおろした醤油タレに漬ける。
「豚ロースでもいいのですが、見た目もボリュームあったほうが楽しいでしょう?だから、お店では豚バラを使うんですよ」
と、調理しながらフェイドラさんが教えてくれる。
「暑くても、しっかり食べて欲しいし、生姜は身体の中からあたためてくれるのは、お嬢もご存知ですよね。夏場はエアコンの冷えがかなり身体に堪えているんですよ。だから、意識的に、体内から温めてあげないといけません」
きちんと、身体のことを考えてメニューを組み立てている。インゲンとニンジンは彩を添えるという意味もあるんだろうな。
フライパンに油をひいて、タレごとフライパンにサッと落として軽く炒める。お肉を焼く音って、なんで、こんなにシアワセな気持ちにさせてくれるのかな。もう、音だけでおいしいってわかっちゃう。
真っ白なディッシュにキャベツの千切り、プチトマト、そして、生姜焼きをのせて、ここに玄米入りご飯、ネギを散らしたかきたま汁を添えて、はい、生姜焼き定食、出来上がり!
「おいしそー♪」
拓人さんがすっごく嬉しそうだ。
ダイニングテーブルに3人分。拓人さんとフェイドラさんと、私。
「いただきます!」
ひとくち、ぱくん。もぐもぐ……
「ん、生姜が効いているわね~」
「おいしい!」
私と拓人さんが話している間も、フェイドラさんは冷静に味わっている。同時に、私たちの様子も見ているみたい。
私たち3人の食事風景って、こんな感じ。
私はこの時間がとても好き。
「ちょっと生姜を入れ過ぎましたか。明日のランチは、もう少しまろやかにしたいですね」
「そうねぇ、ちょっとオトナの味って感じ?でも、私はこの味、好きよ。あと、野菜のピクルスを添えてもいいわね。ブロッコリーとかきゅうりとか」
「あれ?ランチのご飯は、玄米入りでしたっけ?」
「いえ、これはあくまでもマスターやお嬢のためのものですから、お店で出すものは新潟の農家さんから仕入れているお米ですよ」
お米の産地ひとつから、フェイドラさんはこだわっているところがあるみたい。だからこそ、丁寧に調理していくんだろうね。
もぐもぐ、ぱくぱく……ホント、フェイドラさんって料理名人!
「マスター、まだ召し上がりますか?」
「そうねぇ、もう少しだけいただけるかしら」
「はい」
やっぱり、おかわりしますね、拓人さん。でも、日ごろの鍛錬の賜物か、無駄な肉付きがないのよね。ふだんから、きちんと、身体を整えていることを、私は知っている。時々、私も一緒に、ヨガとかやってみるけれど、私、身体が硬いのよねぇ。
「葉月さんはもう食べないの?」
「さすがにこれ以上は…でも、おいしかったー!フェイドラさん、ホントにおいしかったです。ごちそうさまでした」
「お褒めいただき、光栄です。お嬢」
あれこれと話しをしていうちに、あ、いけない。大事なこと、話していなかった。
ディッシュをキッチンシンクに片づけながら、私は由里の話しを切り出す。
「あのね、由里、和史さんと結婚することが決まったみたい」
「まあ!決まったのね!」
「うん。それで、拓人さんと私に結婚式に来て欲しいって」
「え?私も?」
「うん。ほら、前の、あの一件で……和史さんが、ぜひって言っているし、由里も同じこと、言っているの」
「そうねぇ……」
と、少し思案する拓人さんだけれど、パッと笑顔になる。
「うん。おめでたいことだもの。一緒におよばれ、しましょう。スケジュールが決まれば、教えてくれるわよね」
「もちろん。招待状も拓人さんと私の分を出すよって言ってくれたから」
ほうじ茶を淹れながら、フェイドラさんも頷いている。
「ユリさんとMr.サエキ、お似合いですよ。自分からみても、そう思います」
「だよねー」
これが、私たちの日常。
不思議なめぐりあわせ、偶然の必然だったのかもしれない。
考えてみると、ものすっごい不思議な「トリオ」なんだけれどね。
私にとっては、大事な時間。そして、大事な人たちになっているのは、ゆるぎない事実だから。
でも、どこか「ふつうではない」私たち。
やっぱり、不思議な出来事に遭遇することも多いんだよねぇ……
(続く)
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