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不思議なことは身近にある?
土日祝祭日は、『リュフトヒエン』のお手伝いをすることが多くなった私。
今日も、ランチタイムのお手伝い。
おいしそうにランチを食べてくれる人、楽しそうに話している人たち。みんな、幸せな笑顔で、店内でのひとときを過ごしてくれている。
カララン…と、ドアベルの音が響いて、顔を出したのは。
「いらっしゃいませ!…って、あ、あやのさん」
「こんにちは。まだ大丈夫?」
「もちろんです!こちらへどうぞ」
スケッチブックを抱えて、入ってきたのはあやのさんだ。カウンター席の、いつもの定位置に案内すると、彼女はにこっと笑ってくれた。グラスに入ったレモン水(お店で出しているお冷)と、お手拭きを彼女の目の前に置く。
「お仕事ですか?」
「いや、今日はちょっと息抜きしてきたんよ。ほら」
と、スケッチブックを拡げて見せてくれた。少し濃いめの鉛筆で描かれているのは、人物画がメインだ。親子連れ、散歩しているご老人、ベンチに座って電話しているサラリーマン……日常生活の人たちが描かれている。
「息抜きとか言いながら、きちんと描いているんですねぇ」
「あははは…そう言われると、そうやね。でも、結局、自分は描くことが好きなんやろな」
ぱたんとそれを閉じて、ランチメニューの書かれたものに目を走らせる。
「あ、生姜焼き定食!」
「うん、フェイドラさん特製の生姜ダレ、おいしいですよ」
「久しぶりや。自分で生姜焼きを作ると、ついつい、手を抜くからなぁ。いただこうかな。あ、ランチドリンク、ウーロン茶でお願いできる?」
「かしこまりました」
奥の厨房に声をかけると、フェイドラさんが視線で返事をしてくれた。ドリンクは私が用意する。
ちょうど、お店もラストオーダーの時間だ。あやのさん以外のお客様が席を立たれたので、ドアにあった札を「close」にして、店の前にあった立て看板を片付ける。お客様が出て行かれたのを見計らって、あやのさんもちょっとだけ、肩の力を抜いてくれたみたい。
「今日は拓人さん、いないの?」
「うん、今日は自身のヴォーカルレッスン。専門の先生のところで、練習だって」
「プロでもそないなこと、あるんやね」
「まぁ、プロだからこそ…っていうところもあるかな。時々、スタジオにこもって、自主的にヴォイスレッスンしていることもありますよ」
と、話しをしている間に、私はブロッコリーとキュウリとダイコンのピクルスを冷蔵庫から出して、小さな器に盛りつけた。これは、おまけ。また、お酒のおつまみにもなるものなんだけれど、意外と好評なのよね。あやのさんは、お店の常連さんでもあるので、今日はサービスでつけちゃおう。
厨房から、フェイドラさんが顔を出してくれた。
「いらっしゃい、アヤノさん」
「こんにちわ、フェイさん。久しぶり」
出来上がったものをトレイに乗せて、あやのさんの前に置いた。
「うわあ、おいしそー。やっと、フェイさんの料理、食べられるわぁ」
「そういえば、久しぶりじゃないですかね。先週はお店、休みだったから……」
と、フェイドラさんが聞くと、生姜焼きを箸でつつきながら、あやのさんは、
「そうやね、3週間ぶりかな?」
と、言った。
「いただきます!」
あやのさんも、おいしそうに食べてくれる。とても嬉しそうだ。いいよなぁ、おいしい食べ物を、おいしく食べてくれる人って。見ているこちらも、自然と顔が緩んでしまう。
お店のBGM、今日はケルト音楽だ。明るいノリの曲が多く、聴いていても楽しいものが多いのも、ケルト音楽の特徴。
「お嬢も、なにか召し上がりますか?」
「え?いいの?」
「もちろんです。生姜焼きは昨夜、食べたから…ちょっと待っててくださいね」
そう言って、フェイドラさんは厨房へ戻った。
自分のレモン水を用意して、あやのさんのとなりにちょこんと座る。
「前から思っていたんやけど……フェイさんって、葉月ちゃんのこと、お嬢って呼ぶやろ」
「う、うん」
「なんで?」
「あー…なんででしょうね~」
あんまり細かい説明すると、ツッコミ入れられそうだなぁ。
「まぁ、あだ名というか、名前よりも、そっちのほうが呼びやすいみたいです。最初は照れたけれど、今はもう慣れちゃいました」
「ふ~ん。そういうものかぁ」
プチトマトを口に放り込みながら、あやのさん、ひとりごちる。
ごめんなさい、ごめんなさい。あまり細かい話し、できないんです……
そこへ、フェイドラさんがトレイを持って戻ってくる。なんだか、おいしそうなにおいがするなぁ。
「はい、ピザパンです。熱いですから気を付けて」
とん、とテーブルに置かれたものをみて、思わず私とあやのさん、同時に声をあげた。
「おお!」
薄切りにした食パンに薄くトマトソースを塗って、トマトの輪切り、ピーマン、ベーコンのコマ切れをざっと載せて、とろけるチーズを盛り付け、それを焼いたものだ。手早く、ぱぱっと作れることもあって、私もひとり暮らしの時は、よく作っていた。ちなみに、食パンも、フェイドラさん手づくりだったりする。
「いただきまーす!……あつっ……チーズが伸びる……」
おいしい。素直に、おいしい。シンプルだけれど、おいしい。とろけるチーズの罪深さというか、これ、チーズ好きな人には絶対に逃れられないモノでしょ。
「おいしそうやな~。フェイさん、これ、お店のメニューにはないやろ?」
「今のところはないですね。まかないですから」
「まかないとか言って、めっちゃおいしそう…」
などと会話するあやのさんとフェイドラさんの横で、必死にチーズと格闘する私。おいしいんだけれど、あっつあつなの。
しばらく、おいしさを堪能しつつ、他愛もないおしゃべりをしていた私たちだが、ふと、あやのさんが話題を変える。
「あ、そういえば、この間な、駅裏にある広場のイベントスペース、あるやろ。そこで、5人組のグループがミニライブしとってん。すごい楽しかったー」
「音楽グループ?」
「そう。とてもカッコいい曲、優しい曲……って、いろんなのを演奏してくれる。思わず、足を止めて聞き入ってね。私のほかにも、けっこう人が足を止めていたなぁ」
そう言いながら、手をおしぼりで綺麗に拭いてから、スケッチブックを拡ると、ぱらぱらっとめくって、「ああ、これや」と、私の前に差し出した。
「この人たち」
描かれていたのは、5人の男性で、みんなそれぞれに楽器を持っている。人物像の練習のつもりで、ササッと描いたと彼女は言うけれど、とても楽しそうに演奏している姿が、活き活きと描かれていた。
「どこかで聴いたことあるなぁって曲も多かったんやけどね。でも、すごかった」
ギター、ベース、ドラム、ピアノ(電子ピアノ)、サックス。年齢的には、私よりは年上の、でも素敵なおじさま5人組とでもいうのかな、みんな活き活きとしている。あやのさんの画力も素晴らしいなあ。
「ボーカルはないんやけど、音だけで気持ちとか音楽の情景とか…うまく言えへんのやけど、とにかく、私はと~っても気に入った5人組」
じっと、イラストを眺めていた私、あれ?と、思わず首をかしげる。
(このピアノの人……ヒロさん?)
ピアノを演奏する男性。長い黒髪をうしろで結わえて、丸メガネをかけている。この顔、忘れるわけがない。つい最近、谷山さんのライブでピアノを担当していた男性、ヒロさんだ。
「お嬢?」
「葉月ちゃん…どうしたの?」
あやのさんとフェイドラさんが、私の様子を不思議に思ったんだろう、同時に声をかけてきた。ハッと我に返る。
「あ、ごめん」
安易に声に出してはいけないような……と、あやのさんが言った。
「このピアノの男性な、すごい表情が豊かで、ピアノの演奏と身振り手振りでほかのメンバーと会話しとったんや。それがすごい不思議でな~。一瞬だったけれど、彼の背中に大きな光の翼みたいなものが見えたんやけど……まぁ、私の見間違いやろな~」
次の瞬間、私の目の前に現れたのは、数日前に見た、夢……
あたたかい光の中で、白いグランドピアノを優雅に弾く、髪の長い男性。
とても綺麗な光の中で、とても優しい音を奏でている人……
ガタタタタッ、ガシャン!
グラスが床に落ちて割れる音が、お店の中に響く。あ、私が落としちゃったのかな…
「お嬢!」
あやのさんの言葉に、なんでここまで反応しなきゃならなかったのか、自分でもわからない。だけど、なぜか呆然と、その場に立ち尽くしてしまう。
フェイドラさんがすぐにやってきて、床に落ちたグラスの破片を片付け始める。あやのさんは私の腕を掴んで、真剣な表情になっていた。
「あ…ごめんなさい…うっかりしちゃったか…な」
「ケガ、してない?大丈夫?」
「大丈夫。ごめんなさい、大丈夫だから……」
あれ?なんだろ……ふらふらする。頭の中が、ぐるぐる……あれ?
「葉月ちゃん!」
あやのさんの腕に寄りかかるようにして、私はそのまま彼女にもたれかかる。
……意識、途切れた……
(続く)
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