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閑話。
葉月さんが倒れたと、フェイドラから連絡をもらった。
心配だったけれど、彼がいてくれるから大丈夫という気持ちもある。だが、心配なことには変わりはない。
予定通り、ボイスレッスンを終えてから、そのまま電車を乗り継いで、郊外へと向かう。
最寄駅から急ぎ足で、10分もかからないうちに、到着。
階段を上がって、玄関のドアを開けるとフェイドラが迎えてくれる。それから、リビングへ入ると、
「ただいま……あやのちゃん、いらっしゃい。お待たせしてごめんなさいね」
「あ、おじゃましてます」
リビングのソファに、ちんまりと座っているのは、あやのちゃん。かなり恐縮している様子だけれど、私とフェイドラはちらと視線を合わせて、小さく頷く。
あやのちゃんは、ご近所に住むイラストレーターの女性で、1階のお店の常連さんでもある。今回は、フェイドラの「判断」で、こうして一緒に来てもらったカタチだ。
「葉月さんは?」
「お部屋で休んでもらっています」
荷物を置いてから、階段を上がって葉月さんの部屋前に立つ。ドアを3回ノック。
「葉月さん?」
返事はない。そっと、ドアを開けてみる。綺麗に片づけられた部屋の中は、落ち着いた空気が流れていた。
葉月さんは、ベッドの中でゆっくりと眠っていた。落ち着いた表情で、呼吸もふつうのようだ。この家そのものに、結界が張ってあるし、フェイドラのチェックも常に入っているから、部屋の中に「妙な気配」は感じられない。
「ん、大丈夫そうね。もう少し、休んでもらいましょう」
たぶん、葉月さんは「なにかを感じ取った」のだろう。彼女も「言霊師」としてのチカラを持っている分、感情や気持ちなどには敏感な部分を持っている。彼女自身が気づいていなくても、少しずつだが「言霊師」としての能力が、表に出てきているのかもしれない。
音をたてないようにして、再び部屋の外へ出て、2階のリビングへ行くと、待ちかねていたように、あやのちゃんが立ち上がった。
「あ、あの…葉月ちゃんは…」
「大丈夫よ。ゆっくり眠っているわ」
「でも…」
テーブルを挟んだ向かいのソファに腰かけて、私は話しを続ける。
「むしろ、あやのちゃんのチカラが必要かもしれない。だから、フェイドラに頼んで、あなたにも待っていてもらったのよ」
私の言った言葉に、あやのちゃんは言いかけた言葉を飲み込んだ。すごく驚いた、という表情になる。それはそうだろう。彼女は、こちらの背景がまったくわからないからだ。
タイミングを見計らうようにして、フェイドラがアイスコーヒーを淹れたカップを彼女の前に置いてから、私の分も目の前に置いてくれる。
「今回は、あなたに「依頼」をしたいと思っています」
「依頼…ですか?」
コーヒーをひとくち、飲んでから、私は向かいに座っている彼女を見る。
イラストレーターという、芸術系の仕事に就いている、あやのさん。その分、やはり「想像力」というものが、他の人とちょっと違うと感じていた。私たちと同じ、芸術系の仕事に就いている故のものだろう。
「えーっと、ちょっと…お願いと言うか…なんというか…」
「はい?」
何を話しているんだろう、私。何かを迷っているみたいに聞こえるかもしれない。
と、私のうしろにいたフェイドラが笑った。
「マスター、きちんとお話ししないと、アヤノさん、困ってしまいますよ」
「そ、そうよね。何を言っているのかしら、私」
メガネの位置を直しながら、私はしどろもどろになっていた。自分でも驚いてしまう。
最初はきょとん、としていたあやのさんだったが、私の様子を見て、少し笑ってくれた。
「拓人さんが、そないな顔するの、初めてみたわ」
「あら、そう?」
「うん」
と、お互いに顔を見て笑った。それで少し気が楽になったのだろう、あやのさんは、改めて姿勢を正し、私の顔をまっすぐに見てくれた。
「お仕事……拓人さんからお仕事をいただくなんて、思わんかったから、ちょっとびっくりやけど……お話し、聞かせてください」
その後、あやのちゃんは、私の話しに驚きながらも、きちんと聞いてくれた。
彼女から聞かれたことには、きちんと返事をすることも心がける。仕事を依頼するということは、そういうことだ。
「なるほど……そういうことがあったんやね…」
私の話しと、依頼内容を聞いた彼女は、しばらく考えてから、持っていたカバンの中にあったスケジュール手帳らしきものを拡げて確認をしているらしい。やがて、顔をあげて、ニコッと笑ってくれる。
「大丈夫…やな。うん、私ができる精一杯のこと、させてもらいます。少しお時間、いただけますか?ほかの仕事とのすり合わせもして、また連絡させてください」
「もちろんよ。いろんな話しを詰め込んじゃってごめんなさいね。まずは今回のこと、お願いします」
「いや、むしろお話ししてくれたこと、うれしいですわ。拓人さんがお話ししてくれたというのは、光栄なことやしね。ありがとうございます」
最後に明るい笑顔で頷いてくれたあやのちゃんは、葉月さんに気遣いながら、帰って行った。
今回の仕事は、私たちのことを少し、話す必要があった。込み入ったことにもなるけれど、さっきも書いたけれど、仕事を依頼するからには、相手を信頼してのこと。それに彼女も応えてくれると確信したから。
自室に戻って、自分の仕事を片付ける。
明日のスケジュールやら、譜面の整理やら。自分のヴォイストレーニングのまとめやら。表向きの仕事は、おかげさまで順調にいただいている。
(ヒロさんの影響、強いわねぇ…)
事務仕事をしながら考える。
先日のライブ、谷山のバックで演奏していたヒロさん。
どうやら、葉月さんは、ヒロさんの演奏にかなり影響を受けたようだ。
彼の演奏は、とても優しい。そして、受け取る人のココロに直接、響いてくるというものがある。私も谷山も、そのことはよく知っている。
谷山は、私のように特別なチカラを持っているわけではないが、うたい手という仕事柄、声色や気持ち・感情などにはとても敏感だ。あやのちゃんもそうだが、私たちのような仕事(表向きの仕事のこと)をしている人間には、そういったものがほかの人よりは高いのだろうと思っている。
ヒロさんの演奏によって、葉月さんの中にある「なにか」が反応した。
言霊師としての葉月さんの「能力」は、未知数だ。だが、彼女の「ご両親」のことを考えると、決して「弱くはない」チカラを持っている。私も、フェイドラもそれらは「本能的」に感じていて、少しずつだが「開放」されていく気配も感じている。
「私と一緒にいる限り、葉月さんの成長は……少しずつ進んでいく…」
本来のチカラを開放するには、まだまだだが、葉月さんの中にある「言霊師」としての「種」は、確実に芽生え、そして大きくなっている。最初に会った時よりも、ずっと大きく。
葉月さん自身が「自覚」すれば、さらに能力の精度は高まるが。
「果たして、それがいいことなのか…」
私が答えを出すことではない。決めるのは、彼女自身だ。
何度も女性の部屋に入るのは忍びないのだが、もう一度、彼女の様子を伺うために、部屋を覗いてみた。
特に苦しそうにしている様子もないし、呼吸も落ち着いている。大丈夫だろう。そう思って、立ち上がった時だ。
『タクト…』
不意に、自分を呼ぶ声が聞こえた。葉月さんの声ではない。気配を感じた方向へ顔を向けるが、誰もいない。でも、その声に、私は覚えがあった。優しくて、力強くて、あたたかい声。
「はい」
私も、ひとことだけ、返事をする。それに対する返事はなかったが、しかし、私には確かに聞こえた。そして、声の主が誰なのか、すぐにわかった。
大丈夫。私も葉月さんも、あの方々に見守られているのだから。
そっと立ち上がり、音をたてないようにそっと、そっと。
「おやすみなさい、葉月さん」
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