こころのところ

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強い雨が家の壁を思い切り叩きつけ、じっとりと湿った空気が肌にまとわりつくような三日月の夜に、その男は私の家の扉をノックした。 暖炉の明かりに照らされている時計に目を向けると夜中の一時を差していた。こんな夜更けに訪ねて来るような知人はいないし、私の家は集落から離れた川に近い場所に建っている。村から馬を走らせたとしても小一時間はかかるであろう。だとしたらやっぱりこんな夜更けの訪問者はありえない。 旅人だろうか、それとも物盗りだろうか。いや、先日チーズを売りに街に出た時に変な噂も耳にした。 なんでも崖の上で暮らす魔法使いの男が心臓(こころ)を探して、人のそれを奪ってまわっているという噂だ。 聞くところによると心臓を奪われた者の体は死人のように冷たくなるのに、体はずっと動き続ける。でもにこりとも笑わないし、悲しみの涙を流すこともない。死んでいるのに動き続ける心臓(こころ)が空っぽの人形の様な人間になってしまうらしい。 私はそんな噂話を思い出しながら、そんなことあるはずがないと鼻で笑い、テーブルに置いてある蝋燭を手に取り、椅子からゆっくり立ち上がった。 夜中の急な訪問者に私は特別恐れを抱かなかった。 物盗りなら物盗りで構わないと思ったし、魔法使いなら魔法使いで心臓を奪われても構わない。 私はただ一人きり、毎日生き続けていることが苦痛だったのだ。 「どちらさまで?」 そう言って建て付けの悪い木の扉を開くと、紫色の外套(がいとう)を羽織った美しい青年が小さな(オレンジ)色のオイルランプを片手に佇んでいた。 橙色の光に照らされた彼の髪の毛は雨で濡れてはいたものの美しい金色で、胸には深い緑色の宝石でできたブローチが飾られている。そしてランプを持つ手には幾つもの宝石が輝く指輪が散りばめられていた。 一際(ひときわ)目をひくブローチはエメラルドだろうか。周りを銀細工で囲まれたその宝石は妖しくも高貴な光をたずさえ、彼の胸元で光り輝いていた。 「夜更けにすみません。探し物をしておりまして」 「こんな雨の中?」 私が怪訝そうな顔つきでそう尋ねると彼は少し眉尻を下げ、困ったような、甘えたような顔をこちらに向け「雨に打たれて体が冷えて、冷えて。少しだけ、少しだけ暖をとらせてもらえませんか?」と頼み込んできた。 私はこの扉を開けた瞬間から多少の面倒ごとは覚悟していたように思える。それでも扉の外にこんな美しい男が立っているとは予想していなかった。 彼の背の向こうでは雨足が強まる音が響いていて、金色の髪から滴り落ちる雨粒を見ながら私は仕方なく彼を家の中に招き入れた。 「ありがとうございます」 「さぁ、外套を脱いで。暖炉の火で乾かしておくわ」 「どうも」 彼はエメラルドのブローチを外して外套を脱ぐとそれを私に手渡した。 びっしょりと濡れた外套を手で何度か払い椅子にかけると、暖炉の前に近づけた。
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