こころのところ

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振り返ると男は橙色のランプとブローチをテーブルの上に置き、家の中をぐるりと見回していた。まるで何かを探しているように動く視線を見て、やっぱり物盗りじゃあないんだろうかという疑念がわき上がってくる。 「貧相で小さな家でしょう?」 「いえ、小さいけど素敵な家ですよ」 男にそう声をかけると彼はうっすらと微笑みながら私にそう言った。 座るように促すと彼は申し訳なさそうな顔をしてテーブルの脇にあった小さな椅子に腰掛けた。暖炉の光に照らされた彼の肌は雨にうたれていたせいか酷く青白く見えて、私は大きめの鍋に今朝とれたミルクを注ぐと暖炉の火にくべた。 「お一人で暮らしてるんですか?ご主人は?」 彼の言葉に私の体は一瞬びくりと揺れた。いや、その揺れは私自身にしか分からない僅かな揺れだったように思える。 私はそんな動揺を悟られまいと彼に背を向けたまま「一人暮らしよ」と短く言い放った。 「そう。あなたみたいな綺麗な人が一人暮らしとは物騒だ。近頃は不景気で物盗りや人さらいも多いみたいだから用心しないと」 「別に綺麗じゃないし、こんな田舎の方にはそんな人来ませんよ。あなたはロンドンから?」 「そう見えます?」 「えぇ、だってお洒落ですもの。田舎の人には見えないわ」 温まったミルクをコップに注ぎ青年に手渡すと、彼はお辞儀をして「僕の名前はオスカー。オスカー・ターナーです」と言って右手を私に差し出した。 その手を握りかえすことに一瞬躊躇い(ためら)を覚えたが、そのままにしておく事もできず、私は恐々(こわごわ)と彼の手を握り返した。 少し湿った彼の手は青白い肌とは裏腹に暖かく、私の冷えた指先をじんわりと温めていく。 「手が冷たい。僕より冷たい人なんて珍しいな」 彼は驚いたように私の顔を見てテーブルに身を乗り出し、もう片方の手で私の手を握ろうとした。しかし私はそれを拒み、するりと彼の手の中から私の手を引き抜いた。 「さぁ、冷めないうちにミルクをどうぞ。雨が止んだら行って頂戴ね」 彼は他にまだ何か言いたげな表情をしていたが「ありがとう」と微笑むとコップを手に取り、椅子に座り直した。 他人に手を握られたのなんていつぶりだろう。いつも牛の乳を握ってはいたが、誰かに、しかも男の人に手を握られた事なんて久しくなかった。
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