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シワに埋もれた目をしかめて誰何する宿敵の男に、私はこの日の為に打ち直した愛刀の切先を向ける。
「わたしを、覚えているか。耄碌したとは言わせんぞ…」
「知らん……。貴様みたいな女は見た憶えもない」
「そうか…………ならば、今ここで果てろ!」
自分の幸せを願えない代わりに、温かな君の未来を想う時だけ…ほんの少しだけ、少しだけ救われた気がするんだ。
……そこに、その先の人生に私がいることはないのだけれど。
「お前は昔、憎けりゃ追えと言ったな。だから、追いかけてきたぞ。この時を、瞬間を何度夢みたか!」
零士…坊やごめん、本当にごめんね。
身勝手かも知れない、でも君たちには幸せになって貰いたいんだ。
その為なら、私は死をも厭わない。
価値のない私なんかを大事にしてくれて、本当にありがとう。
宿敵を殺すためだけに力をつけてなりふり構わなかった私にとって、君といて、一緒に生きた時間だけが唯一の光だった。
「なぜ、なぜ殺した! 家族を奪った! 答えろ!!」
「理由など、ないわ!!」
「ぐ…っ?!」
切り返しの刃が、深く胸を裂く。
間違いなくこれは致命傷だろう…。
パッと鮮やかに血が舞うが、意地でも狼狽えてなどやるものか。
「なんの、これしき。お前に殺された一族の痛みに比べたら、どうともない!」
ここで刺し違えて死ぬが 悔いはない。
だって、一族を殺されてからはその為だけに生きてきたんだから。
身勝手を許してくれとも、さよならとも私は言わないよ。
……でもせめて、私のような女が生きていたことを覚えてだけいてくれたらば 嬉しいかな。
君たちの人生が、幸せそのものに過ぎゆくこと…それだけを遠い死地から切に願う。
「御首、頂戴する!!」
ねえ零士……年老いた宿敵を屠るのは、とても簡単だったよ。
けれど私の方もまた、年老いていたんだ。
打ち合いに体が耐えられなかっただなんて、おかしな言い訳かな…?
「…憎い宿敵と、刺し違え……君を想い、ながら死…ぬなんて…これ以上、の…幸せは…ない…ね」
とめどない秋雨に洗い流されながら、ゆっくりと目蓋が下がる。
暗がりの深みに吸い込まれていくような感覚に抱かれながら…女として、母親としての幸せを復讐の悲願を果たす代償に差出した女の一生がいま、静かに幕を閉じた。
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