少女貴族と僕

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その悪辣とも言える言動に、一瞬耳を疑った。 「……はい?」 「臭すぎるのよ。魚の腐った匂い。あなたの身体からぷんぷんと。私、匂いに敏感なの。近寄らないでくださいます?」  少女はさも汚らしいものを見るかのように渋面して、手で僕を追い払う。白い指はベールのようにひらひらと蠢いていた。  いや、かごに入っているのはアップルパイなんですけど。と弁解する間もなく彼女は冷たい目で一瞥して、扉を閉めた。一瞬の出来事だった。 「……ええー」  置いてきぼりにされた僕の口からはあまりにも情けない呻き声が漏れた。なんださっきの女の子は。第一印象最悪すぎるだろ。 結局アップルパイを渡しそびれてしまった。玄関前に置いていくことも考えたが、カラスや猫につつかれそうだし、今の様子だと見かけても口にしないだろう。僕はしかたなくアップルパイを持ち帰ることにした。まだアップルパイは温かいだろうから、碧ばら荘でいただくことにする。凍える風が余計に身に沁みた。  それにしても、ハツエさんにはなんと言ったら良いのか。  玄関前ですげなくあしらわれる僕の情けなさといったらない。これだと十文字くんにお願いしたほうが良かっただろう。なんとかハツエさんの役に立ちたいが、どうもうまくいかない。 蓮ヶ原(はすがはら)美星という人間は、いつも肝心なところでドジを踏む。どうにもこうにもうまく事態が転がらないのであった。 「はあー……」  盛大なため息が口からひっきりなしに溢れる。ハツエさんは僕を叱ったり、ましてや呆れたりなんてしないご婦人だが、こうも不甲斐ないと申し訳なく思える。黙々と乾いた地面を見つめていたら、いつのまにか碧ばら荘の玄関前にいた。 「ただいま帰りました……」  帰宅を知らせる声は心なしかいつもより暗い。扉に設置されたベルがカランと鳴れば、ハツエさんがゆっくりとした足取りで出迎えてくれた。  碧ばら荘は隣の洋館ほどではないが、西洋の建物のようなおしゃれな外観をしている。壁や内部は濃いセピア色の木でつくられており、夜になれば橙の電球が内部を明るく照らしている。庭を一眺できるように一階には大きな窓と縁側がついていた。いわばカントリーハウスだ。ここが寮だというのだから驚いた。金持ちの別荘とあまり変わらない造りをしていた。 「おかえりなさい。随分早かったわねえ」 「ごめんなさいハツエさん……。アップルパイ渡せませんでした」  ハツエさんにアップルパイの入ったかごを差し出すと、あらあらまあまあと言いながら受け取ってくれる。首を傾げたハツエさんの白い髪はふわふわと揺れていた。 「なにかあったのかしら?」 「それが……渡そうとしたんですがすげなくあしらわれてしまって……」 「あら……理由もなしにそんなことする人ではないのだけれどねえ」  本当にそうだろうか。今思えば確かにダイヤモンド級の美少女であったかもしれないが、近寄りがたい雰囲気のほうが印象としては強かった。やはりハツエさんの言っている人とあの少女は別人なのかもしれない。試しに尋ねてみることにした。 「あのう……僕が会ったのは僕より年下の……中学生くらいの女の子なんですけど」  そう言えば、ハツエは愉快げに「ホホホ」と笑った。 「その人で合ってるわよ、美星さん。ビスクドールのような人でしょう?」 「は、はい……」 「その人がビアンカさんよ」 「え……で、でも、子どもでしたよ? 子どもが一人暮らしなんて危ないじゃないですか」 「大丈夫。あの人、ああ見えて結構年いってるのよ」  僕から見ればか弱そうな少女にしか見えなかったのだが、もしかすると僕と同い年くらいなのだろうか。そうだとしたら彼女が僕にあんなに横柄な態度をとったのも納得が……納得は、できないけれども。 「さあさ。早くあがって午後のおやつにしましょう。こんなにおいしそうなものを食べないなんて、ビアンカさんもかわいそうね」  まだ怒りはおさまらないが、ハツエさんの柔和な笑顔を見ていたら幾分か落ち着いてきた。ブーツとコートを脱いで、手洗いうがいをしてリビングに向かえば、ハツエさんがゆったりとティータイムの準備をしていた。湯を沸かしつつ、戸棚から茶葉のケースを取り出している。 「今日はダージリンにしましょうか」 「僕が準備しますよ!」 「大丈夫よ。それよりも蒼夜(そうや)さんを呼びに行ってくれないかしら?」  膝を痛めているハツエさんが、二階にいる十文字くんを呼ぶのは苦痛だろう。僕は二つ返事をして、廊下の階段をのぼった。
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