1話「幸せでありきたりで少し退屈な日常」

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1話「幸せでありきたりで少し退屈な日常」

 俺が彼女と出会うその日……始まりは、いつもの静かな朝からだった。 「んぁ?」  眠っているような、目覚めているような、柔らかな微睡みを堪能していた俺を叩き起こしたのは、けたたましいアラームの音。目を開けて時計を見る。6時半とすこし。機械的な甲高い音に眉をひそめながら、俺はゆっくりと身体を起こした。 「もう、朝……か」  いつも以上の気怠さを感じながら、布団から這い出ると大きく伸びをひとつ。十中八九、夜遅くまでゲームのイベントを周回していたせいだろう。  覚束ない手でスマホを手に取ると、耳障りなアラーム音を消し、冷たい水で顔を洗って目を覚ました。  一度完全に起きてしまえば、そこからはスムーズだ。適当に食パンを焼いてインスタントコーヒーと一緒に齧る。    身だしなみを整え、俺の通う高校……稲花(イガ)高校の制服に着替える。うちの制服は意外とデザイン性が高く、男女共々から人気が高い。かく言う俺も、入学した理由の半分くらいは制服目当てだったり。  最後にスクールバッグを背負い、学校指定の靴を履くと……靴箱の上に飾ってある写真立てを手にとった。少し古めの写真には、満面の笑みを浮かべる父さんと母さん、妹と俺の姿。  ふと、あの頃はなんにも考えていなかったなぁ、と思わず感慨にふけって頬が緩む。 「行ってきます、皆」  もう2度と、生身で見ることのない肉親の姿を脳裏に刻んで、俺は学校へと向かった。  俺の通う高校、稲花高校は最近になってできた学校である。とは言っても他の高校と比べれば、という話であり、実際のところできたのは20年ほど前らしい。最近できた学校の最大のメリットは、何より交通の便が良いことだろう。  俺が住むアパートから歩いて15分の駅から、20分ほど電車に揺られて、最後に5分も歩けばついてしまう。おかげで朝はゆっくり寝れて、準備ができる。 「よっ。おはよーさん、(アキラ)」 「ん? おー、おはよー陽斗(アキト)」  最寄り駅に着き、改札口を抜けた先にいたのは、同じ高校に通う同級生の彰だった。いつもなら気持ちの良い笑みを浮かべてくるはずだが、どうやら今日はテンションが上がらないらしい。いつもはシャキッと決まっているオールバックも、どこかシナシナしていた。 「どうしたよ、何かあったか?」 「おー……これ、見てくれよ」  気怠そうな声色で彰はポケットからスマホを取り出すと、軽く操作して俺に画面を見せてくる。 「おう、その、なんだ……ドンマイ」 「はあぁ」  画面に映されたのは、最近流行りのスマホゲーでガチャを引いた結果だった。同じゲームをやっている者として言わせてもらうが……爆死にも程がある。合掌。 「いくら使ったんだよ」 「んー……2万?」 「うわぁ」  2万も課金をして大爆死とは笑えもしない。やっぱりソシャゲは闇が深いなぁと、人生で何度目かの確信を得た俺。ちなみに俺も課金してる。 「はぁ……アリスちゃん欲しかった……」 「好きだなー」 「二次ロリprpr」 「電車の中でキモいこと言うなよ」  なんてペチャクチャ喋りながら登校する俺達。とはいっても俺と彰が一緒なのは電車の中だけで、駅に着けば最後、愛しの彼女さんに彰を取られてしまうのだ。そう、心底信じられないがアイツは彼女持ちなのである。 「今週はシフト大丈夫な日あるの?」 「あー、日曜なら空いてるぞ。遊びに行くか?」 「うんっ」  イチャイチャしながら少し前を歩くふたり。それを遠い目で見ながら、仲良いよなーとため息を吐く。何故あの二次ロリprprと言っている奴に彼女が居るのか、と思わなくもないが……凄いイイやつなのだ、アイツは。  茶がかったオールバックが特徴的な彰は、基本的に誰からも好かれるタイプの男子だ。特別に顔が良い訳ではないが、いつも笑っていて話しかけやすい雰囲気がある。 (そういや、アイツがあのソシャゲをやりだしたのも、俺が勧めたからだったなぁ)  ヘラヘラしているアホかと言われれば、そうでもない。ちゃんと他人を気遣うし、人付き合いをする人間もキチンと選んでいる。明るくも他人との距離感を考えられるアイツだからこそ、彼女が居るのも理解できた。  ……まぁ、納得はしていないが。 「なーに朝っぱらから不貞腐れた顔してんのよ」  と、後ろから衝撃。背中を軽く叩かれたらしく、鈍い痛みを感じながら後ろへ視線を向ける。視界に映ったのは栗色のショートヘアの髪を揺らした女子。 「凪咲(ナギサ)か……。どうしてこの世は不公平なんだろうって考えてたところ」 「意味不明なこと言わないでよね。……って、なるほど。あのリア充の話か」  ひとりで文句つけて勝手に納得した凪咲は、ユルユルに着崩した学生服の袖を捲りあげてパタパタと手で顔を扇いだ。 「いやー朝からお熱いことで、羨ましいったらありゃしないわよねぇ?」 「そこまでは言ってねぇよ」  羨ましいと思わなくはないが、どちらかというと納得できていないだけである。別に、自分もああなりたいなんて欠片も思っちゃいないんだからね!  あれやこれやと朝から騒がしいものの、これが俺たちの普段の登校景色。彰と電車に乗って、イチャイチャする彰たちカップルを眺めながらぼけーっと凪咲と登校する。学校に行けばいつもどおり授業が始まり、短な休憩時間で友達と親睦を深めた。  今日はバイトが入ってるから、明日の放課後カラオケにでも行こうぜ。なんてどうでもいい約束をしながら、俺たちの半日は過ぎていく。  教師たちが将来、役に立つのかどうか怪しい古典や公式を必死に教えて、俺達はそれを必死に頭の中へ入れて。ふと窓に目を向ければ、真っ白な雲が気持ちよさそうに風に流されているのが見えた。 (……雲は自由で良いよなぁ)  あと最短でも2年は続くこの風景に、少し退屈を感じていたのは、恐らく言うまでもないだろう。  それでも俺は、まだ知らなかった。この時間が、この退屈な日常がもうすぐ消え去ることを。  例え日常にスパイスを求めていたとしても、それはただの妄想であるべきだった。少なくとも俺は絶対に、この退屈でありきたりで幸せな日常を、謳歌するべきだったのだ。  けれどこのときの俺は、ぬるま湯のようなぼんやりとした日常を、何も感じず、何も考えず生きていた。 「これで授業は終わりだ、明後日に課題提出だからな。忘れるなよー!」 「きりーつ、きょうつけー、礼ー」 「っしたー」  号令に合わせて礼をする。頭の中ではこんなことを考えていた。 (今日の晩飯、めんどいし家にあるうどんで良いかぁ……)  まだ何も、知らずに。
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